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白石直治 しらいしなおじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

白石直治
しらいしなおじ

[生]安政4(1857).10. 土佐長岡
[没]1919.2.
明治の代表的な土木工学者。東京大学土木学科卒業 (1881) ,農商務省を経て東京府に勤め,アメリカイギリス留学 (83~87) 。東京大学教授 (87) 。のちに民間会社に移り,倉庫,ドック発電所などの大工事に腕をふるった。彼が設計監督した神戸和田岬の東京倉庫株式会社の倉庫は,日本最初の鉄筋コンクリート建築として有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

白石直治 しらいし-なおじ

1857-1919 明治-大正時代の土木工学者,政治家。
安政4年10月29日生まれ。明治20年帝国大学教授。23年退官後,関西鉄道,九州鉄道などの経営に参加し,神戸和田岬の倉庫,若松港などの建設工事にあたる。45年衆議院議員(当選3回,政友会)。土木学会会長。大正8年2月17日死去。63歳。土佐(高知県)出身。東京大学卒。旧姓は久家。

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世界大百科事典 第2版の解説

しらいしなおじ【白石直治】

1857‐1919(安政4‐大正8)
明治・大正期の土木技術者。高知県長岡郡の生れ。漢学者久家種平(忘斎)の長子で,18歳のとき白石家の養子となる。1881年に東京大学理学部土木工学科を卒業し,農商務省,東京府に勤務した。83年にアメリカへ渡航し,各地の大学で学ぶとともに,ペンシルベニア鉄道会社へ入社して土木工学の実務を研修した。その後イギリス,フランス,ドイツなどへ出張研究を命ぜられ,87年に帰国した。ただちに帝国大学工科大学教授に任ぜられたが,90年に辞職して関西鉄道会社の社長となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

白石直治
しらいしなおじ
(1857―1919)

土木工学者。安政(あんせい)4年、土佐国(高知県)の藩儒久家忘斎(きゅうけぼうさい)(種平(たねひら))の長子に生まれる。14歳で白石栄の養嗣子(ようしし)となる。叔父中島信行(のぶゆき)の勤王論に刺激されてひそかに長州(山口県)に走ったこともある。明治になって、東京で後藤象二郎家に寄寓(きぐう)し、1881年(明治14)東京大学理学部土木工学科を卒業。農商務省、東京府勤務を経て、1883年命ぜられてアメリカ、ドイツに留学。1887年帰国、ただちに帝国大学工科大学教授。1890年退官し、関西鉄道会社社長になるが、1898年これを辞し、日本初の鉄筋コンクリートによる神戸和田岬の大倉庫(1906)や東洋一の長崎のドライ・ドック(1904)、若松築港などの大工事建設にあたった。さらに日韓瓦斯(ガス)電気(後の京城電気)、日本窒素肥料(現、チッソ)、猪苗代(いなわしろ)水力(東京電燈会社を経て東京電力の一部となる)などの会社経営に携わった。1912年(明治45)政友会代議士となって活躍した。1919年(大正8)土木学会会長となるが、同年2月死去。直治南岳と号し、詩にも親しんだ。[井原 聰]

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世界大百科事典内の白石直治の言及

【鉄筋コンクリート造建築】より

… 日本では,明治後半(1890年代)になると,欧米で建て始められた鉄筋コンクリート造建築の紹介が相次いで行われた。1904年真島健三郎は佐世保鎮守府内のポンプ小屋を,06年には白石直治が神戸和田岬の東京倉庫を,それぞれ鉄筋コンクリート造で建てた。本格的な鉄筋コンクリート造建築の最初のものは,白石直治の東京倉庫G号棟(1910完成)といわれている。…

※「白石直治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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