日本大百科全書(ニッポニカ) 「九州鉄道」の意味・わかりやすい解説
九州鉄道
きゅうしゅうてつどう
1906年(明治39)の鉄道国有法により国に買収された17社の私設鉄道の一つ。門司―八代(やつしろ)間(現、鹿児島本線)、鳥栖(とす)―早岐(はいき)―長崎間(現、長崎本線、佐世保(させぼ)線、大村線)、小倉(こくら)―宇佐(うさ)間(現、日豊(にっぽう)本線)、若松―飯塚(いいづか)間(現、筑豊(ちくほう)本線)などを保有していた。福岡、熊本、佐賀の各県当局が民間と協力して会社を発起し、1889年(明治22)に博多(はかた)から南へ向かって開業したのを最初に、1898年までに門司―八代間や鳥栖―長崎間を完成、1897年に筑豊鉄道を合併したのに続き、伊万里(いまり)鉄道、豊州(ほうしゅう)鉄道、唐津(からつ)鉄道を統合して、九州北部一帯に及ぶ路線網をつくりあげた。とくに筑豊炭田には、炭坑からの石炭搬出のため、きわめて密な鉄道網が形成された。創業の際にドイツ人技師の鉄道敷設の指導を受けたため、当初の車両やレールなどはドイツ製品を用いていた。
[和久田康雄]