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中島信行 なかじま のぶゆき

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美術人名辞典の解説

中島信行

政治家。男爵。高知県生。坂本龍馬の海援隊で活躍。紙幣権頭・神奈川県令などを経て、第一期衆議院議長を務め、特命全権大使としてイタリアに渡る。明治32年(1899)歿、54才。

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デジタル大辞泉の解説

なかじま‐のぶゆき【中島信行】

[1846~1899]政治家。土佐の人。岸田俊子の夫。坂本竜馬海援隊に所属。明治維新後、神奈川県令・元老院議官などを歴任。自由党結成に参加、副総理となり、民権運動を推進した。のち初代衆議院議長。

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百科事典マイペディアの解説

中島信行【なかじまのぶゆき】

明治の政治家。土佐(とさ)高知藩士出身。坂本竜馬海援隊で活躍。維新後は新政府に仕え,神奈川県令在任中,民会公選を主張,元老院で憲法草案起案に参画。1881年自由党の結成に参加して副総理,1882年大阪で立憲政党を組織。
→関連項目陸援隊

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中島信行 なかじま-のぶゆき

1846-1899 幕末-明治時代の武士,政治家。
弘化(こうか)3年8月15日生まれ。中島久万吉(くまきち)の父。土佐高知藩を脱藩して,坂本竜馬(りょうま)の海援隊にはいる。維新後,神奈川県令,元老院議官を歴任。のち自由民権運動に参加し,自由党副総理。明治23年衆議院議員となり,初代議長。貴族院議員。明治32年3月26日死去。54歳。通称は作太郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中島信行

没年:明治32.3.26(1899)
生年:弘化3.8.15(1846.10.5)
幕末の土佐(高知)藩高岡郡塚地村(土佐市)の郷士。明治期の官僚,政党政治家。元治1(1864)年,土佐勤王党の獄があり,藩情の渋滞を憤慨し同志と脱藩,長州に走る。慶応1(1865)年,坂本竜馬の海援隊に加入,3年の伊呂波丸事件(紀州藩船との衝突,沈没事件)で紀州藩との示談交渉の衝に当たり賠償金獲得に成功したが,坂本の京都での遭難という悲劇に会った。その後,陸援隊に投じ高野山の挙兵に参加。明治1(1868)年5月,徴士として維新政府に出仕,外国官判事,兵庫県判事,大蔵省6等出仕,紙幣権頭,租税権頭などを歴任,7年1月,神奈川県令,9年春から13年10月まで元老院議官。14年自由党の創立に参画し副総理に就任する。また関西地方の立憲政党の総裁,政党政治家として活動した。23年第1回総選挙で衆院議員に当選,初代衆院議長を務めた。その後駐イタリア公使(1892~93),貴族院勅選議員。29年男爵。妻は民権家の岸田(中島)俊子である。

(福地惇)

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世界大百科事典 第2版の解説

なかじまのぶゆき【中島信行】

1846‐99(弘化3‐明治32)
明治期の政治家。土佐藩出身。坂本竜馬の海援隊にはいって活躍。戊辰戦争に参加し,維新後は新政府に出仕した。1874年神奈川県令となり,翌年の地方官会議で民会の公選を主張するなど自由民権的傾向を強め,ついで元老院議官となり憲法の取調べに従事。81年自由党の結成にあたって副総理となり,ついで大阪の立憲政党の総理に推された。女性自由民権家で女権拡張論者の岸田俊子と結婚。第1回総選挙に当選して初代議長となった。

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大辞林 第三版の解説

なかじまのぶゆき【中島信行】

1846~1899) 政治家。土佐の人。海援隊出身。維新後神奈川県令・元老院議官を歴任。自由民権運動に参加し、自由党副総理、大阪の立憲政党総理となった。初代衆議院議長。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中島信行
なかじまのぶゆき

[生]弘化3(1846).8. 土佐
[没]1899.3.26. 大磯
政治家。坂本龍馬海援隊を経て 1874年神奈川県令。 76~80年,元老院議官。 81年自由党副総理,82年立憲政党総理。 90年衆議院の第1代議長。 94年貴族院議員。男爵。女性民権運動家の中島湘烟 (しょうえん) はその妻。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中島信行
なかじまのぶゆき
(1846―1899)

明治時代の政治家。弘化(こうか)3年8月土佐藩士族の家に生まれる。通称作太郎。幕末、海援隊に入って活躍し、新政府成立後は徴士(ちょうし)、外国官権判事(ごんはんじ)、兵庫県判事、大蔵省紙幣権頭(ごんのかみ)、租税権頭を歴任ののち、神奈川県令(1874~1876)、元老院議官(1876~1880)を務めた。神奈川県令時代に開かれた第1回地方官会議(1875)では公選民会論を説くなど進歩的意見を述べ、元老院議官辞任後の1881年(明治14)自由党の結成に参加、副総理に推された。さらに翌1882年請われて大阪の立憲政党総理となり、民権運動に力を尽くした。1887年保安条例に触れ横浜へ転居し、1890年神奈川5区より代議士に当選し初代衆議院議長に就任。1892年イタリア公使、1894年より貴族院議員。1896年男爵となる。明治32年3月26日没。なお夫人俊子(としこ)(旧姓岸田)は女性民権家、長男久万吉(くまきち)は実業家として名高い。[安在邦夫]
『寺石正路著『土佐偉人伝』(1914・富士越沢本書店)』

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世界大百科事典内の中島信行の言及

【岸田俊子】より

…84年《自由の灯》に載せた〈同胞姉妹に告ぐ〉には,男尊女卑は野蛮な欲心からでるもので,男女の関係は愛憐をもってせよと述べている。この年自由党副総理中島信行と結婚,92年にはイタリア公使夫人も経験した。なお87年横浜フェリス女学校教師となる。…

【自由党】より

…その過程で機関紙発行問題や主導権争いから,沼間守一ら東京嚶鳴社(おうめいしや)グループと九州派が参加を拒否するに至った。結局,役員選挙において総理板垣退助,副総理中島信行以下の党役員が決定し,自由党は正式に発足する。党の盟約には〈自由を拡充し,権利を保全し〉〈善良なる立憲政体を確立する〉ことがうたわれていた。…

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