中国の小説家、批評家。7月4日浙江(せっこう)省桐郷(とうきょう)県烏鎮(うちん)に生まれる。本名沈徳鴻、字(あざな)は雁冰(がんひょう)。筆名は茅盾のほか、玄珠など100を超える。1916年北京(ペキン)大学予科を卒業後、商務印書館編訳所に勤務、25年末退職するまで『小説月報』の主編を担当するほか、文学、婦人問題、政治社会問題など多方面にわたって翻訳、論評、紹介を行った。21年文学研究会の発起人の一人となり、ロシア文学をはじめヨーロッパ写実主義文学の紹介に努め、創造社との論争や旧文学批判に中心的役割を果たした。一方、20年11月上海(シャンハイ)共産主義小組に加入、翌年共産党創立と同時に入党し、平民女学校、上海大学で教鞭(きょうべん)をとるなど政治活動にも積極的に従事し、26年広州で『政治週報』を編集、翌27年は武漢で『民国日報』を編集した。
1927年夏の国共分裂以後、上海に戻り、潜伏状態のなかで、国民革命の理想と現実との矛盾を描いた『幻滅』『動揺』『追求』の『蝕(しょく)』3部作(1927~28)を発表。28年日本に亡命、おりから「革命文学」を唱えていた創造社、太陽社の観念性を批判する評論「牯嶺(これい)から東京へ」「『倪煥之(げいかんし)』を読む」を執筆した。30年4月日本より帰国後、左翼作家連盟に加入、長編『子夜(しや)』、『春(しゅんさん)』以下の「農村三部作」、『林商店』などを発表、中国の深い社会構造に目を向けた骨太の作品は、左連の頂点をなすだけでなく、中国近代文学の一つの代表でもある。抗戦中は香港(ホンコン)、重慶(じゅうけい)、桂林(けいりん)などを転々としながら『救亡日報』『文芸陣地』などを編集したほか、『腐蝕』(1941)、『霜葉は二月の花より紅い』(1943)などの長編をはじめ、多くの作品を残した。
解放後は、中国文学芸術界連合会副主席、中国作家協会主席、文化部長(1949~65)、政治協商会議副主席などを歴任、また『人民文学』『訳文』の初代主編となる。1958年より『茅盾文集』10巻が出版され、社会主義リアリズムを提唱した『夜読偶記』などの論文集を多く著した。文化大革命中は発言はなかったが、76年以後『回憶録』を執筆。81年3月27日逝去。1927年の国共分裂時に党籍を去り、その後党籍回復を3回にわたって申請していたが、没後に承認された。
[白水紀子]
『小野忍訳『腐蝕(ある女の手記)』(岩波文庫)』▽『市川宏訳『腐蝕』(『世界文学全集45 老舎・茅盾』所収・1978・学習研究社)』▽『立間祥介訳『霜葉は二月の花に似て紅なり』(岩波文庫)』
現代中国の作家。本名沈徳鴻,字の沈雁冰(しんがんひよう)でも知られる。浙江省桐郷県の知識人の家に生まれた。家庭の経済困難のため北京大学予科を中退,1916年商務印書館編訳所に就職し,文学活動を開始。1920年に鄭振鐸らと文学研究会を結成し,〈人生のため〉の文学を唱えたが,これは茅盾自身の文学的生涯をつらぬくテーマともなった。初め,外国文学の紹介に力を注ぐかたわら,革命の実践に加わったが,革命に悩む知識人の青年を描いた長編《蝕》を発表して作家生活に入った。やがて長編《子夜》を発表(1932)。国際都市上海を舞台に,農村恐慌と内戦のさなか,外国資本と労働運動という腹背の敵に攻撃されながら苦闘する若き民族資本家を描いたこの作品は,中国現代文学史上における最初の全体小説の傑作となった。この前後には,《春蚕》三部作,《林雑貨店》など,中産階級をテーマとした短編に佳作を残した。抗日戦争中は,武漢,香港,ウルムチ,重慶,桂林などの各地を転々としながら文学活動を続けた。一女性の手記の形式で国民党の暗黒政治を内面から描いた長編《腐蝕》(1942)で人間把握の深まりをみせ,それは翌年の《霜葉は二月の花より紅い》で円熟に達した。新中国成立後は,もっぱら文芸評論に健筆を振るい続けて後進の育成につとめるかたわら,作家協会主席,国務院文化部部長などの指導的地位にありつづけた。《茅盾文集》10巻(1958)は主要な創作・評論を収め,《茅盾文芸評論集》(1981)は解放後の主要な評論を収める。
執筆者:吉田 富夫
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1896~1981
中国現代の作家。浙江(せっこう)省桐郷(とうきょう)の人。1921年に共産党に入党。文学研究会を組織する。27年のクーデタにより指名手配され,創作に専念。『蝕』3部作を完成させた。30年中国左翼作家連盟に参加,『子夜』『秋收』『林家舗子』などを発表。日中戦争中も創作に従事した。中華人民共和国成立後は文化部長や中国作家協会主席を務めた。
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…魯迅も,中国の児童文学の発展のために外国の作品を翻訳し,また民話・古典など民族の文化遺産の生かし方に指導的な役割を果たした。その後,林蘭(りんらん)の名による民話の収集整理,老舎の長編《小坡の誕生日》(1930)をはじめ,巴金(はきん),謝冰心(しやひようしん),茅盾(ぼうじゆん),張天翼(ちようてんよく)らの創造活動によって前進をとげた児童文学は,中華人民共和国の成立後,国家的事業として飛躍的に発展しつつある。 新中国の児童文学を代表する張天翼の小説《羅文応の話》(1954),秦兆陽(しんちようよう)の童話《ツバメの大旅行》(1950),そのほか詩,劇,伝記,科学読物などさまざまなジャンルにわたって,革命後の成果が1954年の国際子どもデーに表彰された。…
…同会の実質上の機関誌。当初の主編者は茅盾(ぼうじゆん)。特集や増刊号も刊行し,とくにロシア,東欧などの外国文学の翻訳紹介と国内の新文学作品の批評に力を注ぎ,また老舎や巴金など新人作家を世に送り出すなど,新文学運動に大きな役割を果たした。…
…しかし,こうした左翼文学運動には党員のセクト的傾向が終始つきまとい,いわゆる〈自由人〉や〈第三種人〉を標榜するリベラルな文学者をおしなべて〈敵〉として攻撃・排除したことで,みずから戦線を狭くしていったことも認めなければならない。 この時期はまた,茅盾(ぼうじゆん),老舎,巴金,丁玲,曹禺など,のちの中国文学を担う文学者たちが,つぎつぎと世に出た時代であった。なかでも茅盾《子夜》(1931),巴金《家》(1930),李劼人(りかつじん)《死水微瀾》,老舎《駱駝の祥子》(1937)などは,中国文学が世界に通用する本格的ロマンを持ち始めたことを示した。…
※「茅盾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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