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益田時貞 マスダトキサダ

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デジタル大辞泉の解説

ますだ‐ときさだ【益田時貞】

天草四郎(あまくさしろう)

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百科事典マイペディアの解説

益田時貞【ますだときさだ】

江戸初期,島原の乱の首領とされる少年。一揆の首領として天草四郎太夫時貞,天の四郎秀綱などと呼ばれ,洗礼名はジェロニモといわれるが,正確な素性は不明。父益田甚兵衛小西行長に仕えたのち帰農したという。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

益田時貞 ますだ-ときさだ

天草四郎(あまくさ-しろう)

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朝日日本歴史人物事典の解説

益田時貞

没年:寛永15.2.28(1638.4.12)
生年:寛永1?(1624)
江戸前期の島原・天草一揆の指導者。天草時貞とも呼ばれる。通称,天草四郎。肥後国(熊本県)宇土郡江部村に帰農した小西家浪人益田甚兵衛の長男で,洗礼名ジェロニモ。9歳で手習いを始め12歳から学問をし,長崎へもときどきでかけて学んだという。肥後国はその半国がキリシタン大名小西行長の領地であったため,家臣にも領民にもキリシタンが増えたが,藩主が変わりキリシタン禁制が強制されてのちも,潜伏あるいは表向き棄教したかたちで領内に住んでいた。天草諸島に潜むキリシタン浪人たちは,追放されたバテレンが残した書物に,26年後に善人ひとりが誕生し,その幼な子が習わないのに諸事を極め,天地自然に不思議な事が顕現し,野山に白旗が立ち,諸人の頭に十字架が立つであろう,全てが焼け果てるであろう,とあると触れ,その善人が四郎に当たると宣伝した。ローマ教会からすれば土俗的な異端教説であるが,16歳の四郎への結集は童児が神の依りましとなるノリワラの民俗がこの地に生きていたためとされる。四郎が起こした奇跡といわれるものに,手をさしのべると空から鳩が舞い降りて掌に卵を生み,その卵を割ると中からキリシタンの経文があらわれた,竹に止まっている雀を枝ごと折っても逃げなかった,天草と有馬の中間にある湯島まで海の上を歩いて渡った,などがある。 一揆直前に親類の住む天草の大矢野島に父と渡り,キリシタンに立ち帰った島原・天草の百姓に「天之使」とみなされ,2万余とも3万以上ともいわれる一揆の「大将」に推戴された。島原領主(1616年入部した松倉重政,31年跡を継いだその子勝家)の苛政を原因として寛永14(1637)年10月に始まった農民の闘争は急速に全藩域に拡大,天草の蜂起とも合流して宗教一揆に変わり,熱狂的な四郎崇拝のかたちになって殉教の覚悟で死を恐れず闘う力が引き出された。さまざまな迫害・教化政策のもとで,島原・天草の農民はキリシタンであることを棄てていたが,元来教会から禁じられている領主の苛政に対する闘いのなかで,急速に復宗したのである。同年末原城の籠城態勢のなかで,四郎は説教を行いミサを主宰したといわれる。四郎の50歳ほどの母(洗礼名マルタ)と22,3歳の姉(洗礼名レシイナ),7歳ほどの妹まんは城に入る前に捕らえられ,降伏の説得工作に利用された。一揆勢は翌15年元旦,幕府上使板倉重昌を戦死させるなど果敢に闘うが,鎮圧軍側による2月28,29日の総攻撃でついに落城。落城後,母親が首実検させられて,細川藩の家臣が四郎を討ち取ったことが判明した。その首は長崎に送られて晒首にされた。のちに母や姉妹も処刑された。<参考文献>岡田章雄『天草時貞』

(深谷克己)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ますだときさだ【益田時貞】

1623?‐38(元和9?‐寛永15)
江戸初期,島原の乱の首領とされる少年。居住地から江辺四郎,大矢野四郎,一揆の首領として天草四郎太夫時貞,天の四郎秀綱などと呼ばれ,洗礼名はジェロニモといわれるが,正確な素性はほとんど不明である。父益田甚兵衛はかつて小西行長に仕えた帰農武士といわれ,捕らわれた母親の陳述では,時貞は9歳で手習いを始め,学問のために長崎へも行ったという。一揆の首謀者である一部の庄屋や牢人たちは,彼を農民結集の核として天より下った救世主に仕立て,さまざまな奇跡を演じさせた。

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大辞林 第三版の解説

ますだときさだ【益田時貞】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

益田時貞
ますだときさだ

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世界大百科事典内の益田時貞の言及

【島原の乱】より

…江戸初期の1637‐38年(寛永14‐15)に肥前島原藩と同国唐津藩の飛地肥後天草の農民が,益田時貞(天草四郎)を首領に,キリシタン信仰を旗印としておこした百姓一揆。天草の乱ともいう。…

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