日本歴史地名大系 「盛岡城跡」の解説
盛岡城跡
もりおかじようあと
〔築城以前〕
前九年の役ののち、迂志方太郎頼貞(清原武則の舅)が初めて当地に城を築き、鎌倉期には工藤小次郎光家の一族が居住していたという(「大日本地名辞書」「内史略」など)。建武の新政期前後には、南部信長が不来方の南館・北館を拠点に
なお不来方は、文禄五年六月四日の南部信直書状(国統大年譜)などには子次方、「内史略」には古志方とも記される。また福士氏は南部信直に背いて秋田に逃れたが、のち召返されて岩手郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報