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清原武則 きよはらのたけのり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

清原武則
きよはらのたけのり

平安時代後期の出羽山北 (雄物川上流の雄勝,平賀,仙北3郡の盆地) の俘囚 (帰順した蝦夷) の長。天喜5 (1057) 年,安倍頼時を討った源頼義,義家父子が,頼時の子貞任,宗任征伐に苦戦し,援軍を求めてきたとき武則は1万余の軍勢を率いて陸奥に入り,康平5 (62) 年8月,栗原郡営岡 (たむろがおか) で 3000の頼義軍に合流して小松,衣川,鳥海,黒沢尻厨川を攻略したので,前後 12年に及ぶ前九年の役も終結。翌年2月,武則は鎮守府将軍に任じられ,安倍氏の奥6郡を得て,奥州の半独立的政権を形成した。

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百科事典マイペディアの解説

清原武則【きよはらのたけのり】

平安後期の武将。生没年不詳。清原氏は出羽(でわ)の俘囚(ふしゅう)の主(ぬし)といわれた。前九年(ぜんくねん)の役で安倍氏を討った功で1063年鎮守府(ちんじゅふ)将軍に任ぜられた。
→関連項目金沢柵藤原清衡

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清原武則 きよはらの-たけのり

?-? 平安時代中期-後期の武人。
清原武貞,清原武衡(たけひら)の父。出羽(でわ)山北(せんぼく)(秋田県)の豪族。前九年の役で源頼義(よりよし)につき,陸奥(むつ)厨川柵(くりやがわのさく)(岩手県)で安倍貞任(あべの-さだとう)をほろぼす。功により康平6年(1063)鎮守府将軍に任じられ,出羽三郡にくわえて安倍氏の旧領の奥六郡を領有した。

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朝日日本歴史人物事典の解説

清原武則

生年:生没年不詳
平安中期の東北地方の豪族。父は光方。出羽国仙北(古代の雄勝,平鹿,山本の3郡。秋田県)の「浮囚長」。康平5(1062)年,前九年の役で陸奥守源頼義による安倍氏攻略に当たり,頼義から援軍の要請を受けたが当初,応じなかった。途中から3000の頼義軍を上回る1万の兵を率いて戦い,1カ月で勝利に導いた。この献身ぶりを頼義の子義家は「武則の忠によって朝廷の権威を保つことができた」とほめたたえた。軍功によって翌年鎮守府将軍に任じられ,安倍氏の所領も手中にし,奥羽2国にまたがる清原氏の基盤を築いた。

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

きよはらのたけのり【清原武則】

平安後期の武将。生没年不詳。清原氏は,〈出羽山北(せんぼく)の俘囚(ふしゆう)主〉といわれていて,出羽国の雄勝,平鹿,仙北の3郡の司であり,その地方の蝦夷を支配する家柄の豪族であった。系図によれば,武則は右大臣清原夏野の後裔で,兵部大輔清原光方の子ということになっているが,清原氏のことを俘囚(帰降した蝦夷)といっている史料もある。前九年の役(1051‐62)で安倍頼時・貞任(さだとう)と源頼義・義家とが戦ったとき,頼義の請によって出兵し,その勝利に決定的な貢献をした。

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大辞林 第三版の解説

きよはらのたけのり【清原武則】

平安後期の武将。出羽の俘囚ふしゆうの長。前九年の役で源頼義・義家を援助し、安倍貞任を滅ぼし、功により1063年、鎮守府将軍に任ぜられた。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清原武則
きよはらのたけのり

生没年不詳。平安後期の武将。出羽山北(でわせんぽく)の俘囚主(ふしゅうしゅ)清原光頼(みつより)の弟。「清原氏系図」のなかには兵部大輔(ひょうぶだいぶ)光方(みつかた)の子として天武(てんむ)天皇―舎人(とねり)親王に結び付けるものもあるが、俘囚主清原氏は本来山北(秋田県横手(よこて)盆地)在地の豪族であると認められる。前九年の役で陸奥(むつ)安倍(あべ)氏の地力に手を焼いていた陸奥守(むつのかみ)・鎮守府将軍源頼義(よりよし)とその子義家(よしいえ)を助け、1062年(康平5)1万の清原軍を率いて3000の源軍と陸奥国(宮城県)栗原(くりはら)郡営岡(たむろがおか)で合流。8月16日小松柵(こまつのさく)を落としたのを手始めに、衣川(ころもがわ)、大麻生野(おおあそうの)、瀬原(せばら)、鳥海(とりうみ)、黒沢尻(くろさわじり)、鶴脛(つるはぎ)、比與鳥(ひよどり)の諸柵を破り、9月16日厨川(くりやがわ)、嫗戸(うばと)2柵を囲み、翌日攻略、安倍氏を滅ぼした。功績により翌年従(じゅ)五位下鎮守府将軍となり奥六郡も領する。[新野直吉]
『新野直吉著『古代東北の覇者』(中公新書) ▽新野直吉著『古代東北史の人々』(1978・吉川弘文館)』

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