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直心影流 じきしんかげりゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

直心影流
じきしんかげりゅう

剣道の流派の一つ。新陰流の系統で,寛永 17 (1640) 年頃の剣術家,山田平左衛門光徳が創始した。誠を剣の要点と説き,仁義礼智4徳を兵法の基本とすることから直心と称した。江戸時代中頃,この流派から出た長沼四郎左衛門国郷は,防具,竹刀 (しない) などを創案し撃剣の祖とされる。

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デジタル大辞泉の解説

じきしんかげ‐りゅう〔ヂキシンかげリウ〕【直心影流】

剣道の一流派。元禄年間(1688~1704)に山田平左衛門光徳が創始。

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世界大百科事典 第2版の解説

じきしんかげりゅう【直心影流】

剣術流派の一つ。流祖は高槻藩永井家の臣,山田平左衛門光徳(みつのり)。平左衛門の子長沼四郎左衛門国郷(くにさと)が,正徳年間(1711‐16)に父の時代から行われていた竹刀,防具などの改良を完成し,実戦的試合稽古を中心として,後に中西派一刀流とともにおおいに流行した。長沼の正統は藤川弥司郎右衛門近義が継ぎ,赤石郡司兵衛,団野源之進,男谷精一郎島田虎之助榊原鍵吉天野八郎など優れた人材が輩出した。

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大辞林 第三版の解説

じきしんかげりゅう【直心影流】

剣・薙刀なぎなたなどの一派。江戸初期、山田平左衛門光徳みつのりが創始。防具や竹刀しないの改良による実戦式の稽古で名声を高めたという。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

直心影流
じきしんかげりゅう

近世剣術の一流。享保(きょうほう)(1716~36)から田沼期に台頭した新流で、流祖は山田一風斎光徳(いっぷうさいみつのり)(1639―1716)。光徳は通称平左衛門(へいざえもん)、下野(しもつけ)国の出身で、初め高橋弾正左衛門重治(だんじょうざえもんしげはる)(直翁(じきおう))の門に入って、直心正統一(じきしんしょうとういち)流を学んだが、これに飽き足らず、柳生(やぎゅう)門の運籌(うんちゅう)流などの諸流を修めて36歳のとき帰門。1686年(貞享3)48歳で的伝の印可を許され、下野烏山(からすやま)藩永井侯に仕え、物頭(ものがしら)、知行(ちぎょう)150石を賜った。1710年(宝永7)江戸へ出て、剣士として進境著しい三男隼太(はやた)と父子協力して、芝西久保、通称江戸見坂に道場を開き、自ら鹿島神伝(かしましんでん)7代を称し、流名を新たに直心影流をたてた。16年(享保1)隼太改め長沼四郎左衛門国郷(くにさと)(1688―1767)が2代を継いだが、世評に「近代の名人にして門人甚だ多し、東都にて第一と称せられ」(撃剣叢談(そうだん))るに至った。とくに宝暦(ほうれき)年間(1751~64)一風時代から着手した防具の改良を進め、「鉄の仮面を制し、綿甲(小手)膊(はく)を覆い、剣長に準じて三尺四寸の竹刀(ちくとう)をもって実戦稽古(けいこ)を始めた」のが時流に投じ、沈滞した当時の剣術界に新風を吹き込んだ功績は大であった。
 国郷の跡を継いだ三男徳郷は1777年(安永6)36歳で夭逝(ようせい)したが、近くの愛宕(あたご)下で道場を開いていた義子の正兵衛綱郷が、よく本家を補佐して流勢を広げた。こののち代々上州沼田藩土岐(とき)侯の師範役を勤めたが、幕末の8代笑兵衛恂郷は剣名が高く、9代を継いだ称郷(可笑人)や阿部右源次(うげんじ)、得能関四郎(とくのうかんしろう)らの名剣士を養成した。また綱郷の高弟藤川弥司郎右衛門近義(やじろうえもんちかよし)が1756年(宝暦6)下谷(したや)長者町に開いた町道場も地の利を得て門弟3000人といわれ、赤石郡司兵衛(ぐんじべえ)、井上八郎、酒井良佑(りょうすけ)らの剣客を輩出した。ついで赤石の門からは団野源之進、石川瀬平二(せへいじ)らが、さらに団野の道場からは、講武所剣術師範役となった男谷(おだに)精一郎信友が出て、島田虎之助(とらのすけ)、榊原鍵吉(さかきばらけんきち)、横川七郎ら、多くの逸材を育成した。こうして直心影流は全国諸藩に広がり、幕末剣道界の一大勢力を形成した。[渡邉一郎]

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世界大百科事典内の直心影流の言及

【男谷精一郎】より

…幕末の剣聖といわれた剣術家。直心影流13代。兵学,槍術など武芸のほか,書画にも優れ,教養,人格とも抜群の風格ある剣客。…

【薙刀】より

…剣術同様多くの流派も生まれ,基本の型が考案された。戦国末期以来のおもな流派には,天道流,新当流,先意流,常山一刀流,正木流,直心影流,月山流,武甲流などがあり,現代にまで盛行している主要な2流は天道流と直心影流である。 明治以降薙刀は,男子の柔剣道とともに女子の武道として発展し,1904年大日本武徳会に薙刀部が設けられ,さらに学校体育に準正課として採用されて,とくに昭和10年代にその最盛期を迎えた。…

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