矢部 貞治
ヤベ テイジ
昭和期の政治学者,政治評論家 東京帝国大学教授;元・拓殖大学総長。
- 生年
- 明治35(1902)年11月9日
- 没年
- 昭和42(1967)年5月7日
- 出生地
- 鳥取県日野郡根雨町(現・日野町)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部政治学科〔大正15年〕卒
- 経歴
- 昭和3年東大助教授となり、10年から政治学研究のため米国・英・独に留学、14年蠟山政道の後を継いで政治学担当の教授となる。戦中は近衛文麿のブレーンとなって新体制構想の立案に当たったほか、大東亜省の嘱託として大東亜共栄圏の政策指導に関与、また後藤隆之助の昭和研究会、矢次一夫の国政研究会のメンバーとしても活躍した。戦後は自ら東大を去り、政治評論家として活動のかたわら「近衛文麿」(全2巻)を完成している。30〜39年拓殖大学総長。41年早稲田大学客員教授。この間、32年からは憲法調査会副会長として憲法改正論者の旗頭となったが、のち部分的改正論者に。他の著書に「民主主義の基本問題」「協同主義の政治・国家論」「政治学」「矢部貞治日記」(全4巻)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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矢部貞治
やべていじ
(1902―1967)
政治学者。鳥取県生まれ。1926年(大正15)東京帝国大学法学部卒業。39年(昭和14)東大教授、政治学担当。昭和研究会に参加。近衛文麿(このえふみまろ)のブレーンとなり「新体制運動」の原案を作成。大政翼賛会が陸軍に牛耳(ぎゅうじ)られるや海軍と協力、ファッショ阻止の活動を行う。敗戦後、東大辞任。占領期間中は著述に没頭。『民主政機構の基礎原理』(1947)、『民主主義の本質と価値』(1949)、『政治学』(1947)、『近衛文麿』上下(1952)など刊行。占領解除後、早稲田(わせだ)大学大学院講師、拓殖大学総長(1955~64)。選挙制度調査会、中央教育審議会、憲法調査会などの委員を務めた。憲法改正論者であり、マルクス主義への鋭い批判で知られ、保守の理論家として活躍した。
[村田克己]
『『矢部貞治日記』全四巻(1974・読売新聞社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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矢部貞治 やべ-ていじ
1902-1967 昭和時代の政治学者。
明治35年11月9日生まれ。昭和14年母校東京帝大の教授となる。近衛文麿のブレーンとなり,新体制運動の原案を作成する。敗戦後東京帝大教授を辞任。30年拓殖大総長。憲法改正論をとなえた。昭和42年5月7日死去。64歳。鳥取県出身。著作に「民主主義の本質と価値」「近衛文麿」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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矢部 貞治 (やべ ていじ)
生年月日:1902年11月9日
昭和時代の政治学者。東京帝国大学教授;拓殖大学総長
1967年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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