後藤隆之助(読み)ゴトウ リュウノスケ

20世紀日本人名事典 「後藤隆之助」の解説

後藤 隆之助
ゴトウ リュウノスケ

大正・昭和期の政治家 昭和研究会代表世話人。



生年
明治21(1888)年12月20日

没年
昭和59(1984)年8月21日

出生地
茨城県

学歴〔年〕
京都大学〔大正8年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和37年〕

経歴
京大時代から近衛文麿親交を結び、近衛団長とする大日本連合青年団に入り、昭和17年の大日本翼賛壮年団創立参画。8年に結成された近衛のブレーンといわれる昭和研究会を主宰し、蠟山政道風見章尾崎秀実、笠信太郎らの人材を集め、さらに人材養成のため昭和塾を創立した。12年の第1次近衛内閣の組閣参謀を務め、15年の第2次近衛内閣で大政翼賛会が結成された際、組織局長となった。しかし観念右翼の赤攻撃で、局長を辞任、昭和研究会、昭和塾も解散戦後は昭和同人会を主宰。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「後藤隆之助」の解説

後藤 隆之助
ゴトウ リュウノスケ


肩書
昭和研究会代表世話人

生年月日
明治21年12月20日

出生地
茨城県

学歴
京都大学〔大正8年〕卒

経歴
京大時代から近衛文麿と親交を結び、近衛を団長とする大日本連合青年団に入り、昭和17年の大日本翼賛壮年団の創立に参画。8年に結成された近衛のブレーンといわれる昭和研究会を主宰し、蠟山政道、風見章、尾崎秀実、笠信太郎らの人材を集め、さらに人材養成のため昭和塾を創立した。12年の第1次近衛内閣の組閣参謀を務め、15年の第2次近衛内閣で大政翼賛会が結成された際、組織局長となった。しかし観念右翼の赤攻撃で、局長を辞任、昭和研究会、昭和塾も解散。戦後は昭和同人会を主宰。

受賞
藍綬褒章〔昭和37年〕

没年月日
昭和59年8月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「後藤隆之助」の意味・わかりやすい解説

後藤隆之助
ごとうりゅうのすけ
(1888―1984)

政治家。京都帝国大学法科卒業。在学中近衛文麿(このえふみまろ)と親交を結び、以後、近衛側近として仕える。1933年(昭和8)近衛政権樹立に備えて昭和研究会を設立し、国家再編の研究に従事した。1937年第一次近衛内閣組閣参謀。1938年昭和研究会を母体とした昭和塾を創設し塾長となる。1940年新体制準備委員会常任幹事、大政翼賛会組織局長などを務め、近衛新体制運動を支えた。しかし観念右翼による「アカ」攻撃のため局長を辞任。第二次世界大戦後は日本青年館理事などを務めるかたわら、昭和同人会を主宰。

[小田部雄次]

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改訂新版 世界大百科事典 「後藤隆之助」の意味・わかりやすい解説

後藤隆之助 (ごとうりゅうのすけ)
生没年:1888-1984(明治21-昭和59)

政治家。茨城県に生まれる。一高,京大で同窓であった近衛文麿のブレーンとなる。日本青年館を拠点に青年団や壮年団の運動を指導し,1933年国策研究機関の昭和研究会を創立し主宰した。37年第1次近衛内閣の組閣参謀として脚光をあび,40年には新体制運動の推進役となり,大政翼賛会組織局長に就任したが,翌年辞任した。戦後は東京高速道路取締役などをつとめた。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤隆之助」の解説

後藤隆之助 ごとう-りゅうのすけ

1888-1984 大正-昭和時代の政治家。
明治21年12月20日生まれ。昭和8年蝋山政道(ろうやま-まさみち)らと昭和研究会を設立し,近衛文麿(このえ-ふみまろ)のブレーンとなる。15年大政翼賛会の組織局長となるが,右翼から批判され,翌年辞任。戦後は昭和同人会を主宰。昭和59年8月21日死去。95歳。千葉県出身。京都帝大卒。

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367日誕生日大事典 「後藤隆之助」の解説

後藤 隆之助 (ごとう りゅうのすけ)

生年月日:1888年12月20日
大正時代;昭和時代の政治家。昭和研究会代表世話人
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の後藤隆之助の言及

【昭和研究会】より

…近衛文麿のブレーン・トラストたることを目ざして設立された国策研究機関。近衛の友人で大日本連合青年団主事の後藤隆之助がその組織者であった。後藤は政界,官界,学界,言論界から左右を問わず広く多数の会員を集めたが,蠟山政道,東畑精一,有沢広巳,高橋亀吉,佐々弘雄,三木清,矢部貞治,笠信太郎,尾崎秀実などの少壮気鋭の知識人を擁し,しかもこれらの人々が研究・立案活動の担い手として積極的に活動した点に昭和研究会の特徴があった。…

※「後藤隆之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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