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石垣山 いしがきやま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石垣山
いしがきやま

神奈川県南西部,箱根山外輪山東端の山。標高 241m。小田原市に属し,その市街地西方にある。豊臣秀吉小田原城攻略にあたって築いた「太閤一夜城」跡があり,本丸跡からは小田原市街,相模湾の展望がよい。史跡に指定されている。付近にはミカン畑が多い。

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デジタル大辞泉の解説

いしがき‐やま【石垣山】

神奈川県小田原市にある箱根外輪山の一部。標高241メートル。天正18年(1590)豊臣秀吉小田原征伐の折、陣所を置いた所。

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大辞林 第三版の解説

いしがきやま【石垣山】

神奈川県小田原市にある箱根外輪山の一部。1590年豊臣秀吉が小田原攻めの陣営とした地。海抜241メートル。

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国指定史跡ガイドの解説

いしがきやま【石垣山】


神奈川県小田原市早川にある山。箱根火山の外輪山の一部にあたり、旧名は笠懸(かさがけ)山と称し、標高は241m、小田原城の南西約2.8kmに位置する。1590年(天正18)、豊臣秀吉が後北条氏の小田原城を攻めた際、本陣を築いた山で、名前は城壁の石垣に由来する。石垣山城は関東で初めて造られた総石垣の城で、石垣は近江(おうみ)の穴太(あのう)衆による野面積みとされ、4月5日に着工して6月26日に竣工したといい、一夜城と呼ばれている。秀吉はこの城に淀君や千利休を呼んで茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりした。本丸の南西、最高所に天守台を置き、二の丸、三の丸、南曲輪(くるわ)、井戸曲輪などが配置されていた。1923年(大正12)の関東大震災で数多くの石垣が崩壊したが、往時の規模が推測できる。井戸曲輪は二の丸の北東側にあり、25mも下がったところにある井戸を石垣で囲むように造られた珍しいものである。1959年(昭和34)に国の史跡に指定され、現在は石垣山一夜城歴史公園として整備されている。JR東海道本線早川駅から徒歩約40分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石垣山
いしがきやま

神奈川県小田原市の中心市街地の南西にある山。旧称は笠懸(かさがけ)山。標高241メートル。箱根火山の外輪山の一部にあたり、小田原市街をはじめ相模(さがみ)湾や箱根火山の展望によい。1495年(明応4)北条早雲(そううん)が小田原大森氏を奇襲したときには、牛の角(つの)に松明(たいまつ)を結び付けて(火牛(かぎゅう)の計)この山へ攻め登らせたという。頂上の巨石を積み上げてつくられた城郭の石垣山城跡(国指定史跡)は、1590年(天正18)豊臣(とよとみ)秀吉の小田原攻めのおりの戦闘指令所のあった所で、秀吉は3月末に箱根湯本の早雲寺に入ったが、4月4日には石垣山に築城を開始し、まもなくここへ移って本営とした。城が完成したのは6月26日といわれるが、秀吉が城の完成後に樹木を切り払わせたので、小田原城中の北条勢は一夜にして城ができたと驚き、「一夜の城」とよぶようになったという。江戸時代には小田原城防衛の第一の要害として登山が禁止されていた。現在は城跡を除く全山はほとんどミカン園になっている。JR東海道本線早川駅から徒歩1時間。[浅香幸雄]

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