改訂新版 世界大百科事典 「石川年足」の意味・わかりやすい解説
石川年足 (いしかわのとしたり)
生没年:688-762(持統2-天平宝字6)
奈良時代の官人。名族蘇我氏の末裔にあたる。曾祖父蘇我連子は天智朝の大臣,父石川石足(いわたり)も従三位にまで昇った。年足は最初,少判事,地方官などを歴任した。官人として有能,廉勤であり,739年(天平11)には,出雲国守としてその善政を賞せられている。奈良時代中葉,藤原仲麻呂が台頭してくると,年足はその政権下で重用され,749年(天平勝宝1)には式部卿のまま,仲麻呂が拠点とした紫微中台(しびちゆうだい)の大弼(次官)を兼ね,参議となった。ついで大宰帥,神祇伯,兵部卿,中納言などの要職に就き,758年(天平宝字2),仲麻呂が官職名を唐風に改称した際には,そのことに参画している。その後760年には御史大夫(大納言)に昇ったが,762年,75歳で没した。この間,759年には,勅に応じて律令の施行細則である《別式》20巻の編纂を献策し,これを完成している。これは彼の実務能力をよく示したものといえる。また年足は,早くから仏教に帰依し,730年と739年には写経を,738年には弥勒像の造立を行わせた。なお年足の墓所については,江戸時代に現在の大阪府高槻市真上町の丘陵から,年足の火葬骨やこれを入れた木櫃,墓誌などが発見され,その場所が判明している。墓誌は短冊型の銅板(縦29.6cm,横10.3cm,厚さ0.3cm)に22字詰6行130字の文字を刻し,鍍金(ときん)したもので,年足の系譜,没時の官職,年月日,享年,墓所などが記され,末尾に故人を悼む韻文の銘が付けられている。
執筆者:東野 治之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報