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石川年足 いしかわのとしたり

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石川年足
いしかわのとしたり

[生]持統2(688)
[没]天平宝字6(762).9.30. 奈良
奈良時代の学者。蘇我氏の一族。石足の子。藤原仲麻呂の官号改定に参画し,御史大夫正三位で没した。その墓誌が大阪府高槻市から出土。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石川年足 いしかわの-としたり

688-762 奈良時代の公卿(くぎょう)。
持統天皇2年生まれ。石川石足(いわたり)の長男。天平(てんぴょう)11年出雲守(いずものかみ)のとき,善政を顕彰される。式部卿などをへて,20年参議。天平勝宝5年大宰帥(だざいのそち)。天平宝字2年正三位にすすみ,藤原仲麻呂のおこなった官名唐風化をたすけた。4年御史大夫(大納言)。天平宝字6年9月30日死去。75歳。墓所は大阪府高槻市にあり,文政3年墓誌と遺骨が出土。

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朝日日本歴史人物事典の解説

石川年足

没年:天平宝字6.9.30(762.10.21)
生年:持統2(688)
奈良時代の官人,公卿。石川石足の長男。はじめ少判事で,天平7(735)年正六位上から従五位下に昇進。同11年出雲守として善政を賞せられる。同12年従五位上に進み,天平勝宝1(749)年従四位上。この間天平16年東海道巡察使,同18年陸奥守,春宮員外亮などを経て,天平勝宝1年式部卿兼紫微大弼を務める。同年までに参議となり,同8年大宰府(太宰府市)の長官となる。藤原仲麻呂が政権を握った天平宝字1(757)年以降も,中納言,御史大夫(大納言)と昇進し,この間神祇伯などを歴任した。『続日本紀』によれば,潔白,勤勉で,政治に習熟し読書を好んだ。天平宝字3年,養老律令施行細則である『別式』20巻の編纂を献策しのちに完成,これは諸司別に編集され政務の拠り所となり『弘仁式』の先駆となった。『万葉集』に歌1首を載せる。彼の発願経である仏説灌頂随願往生経(天平9年書写),仏説弥勒上 生 経(同10年),大般若経(同11年)が現存。文政3(1820)年,現在の高槻市真上町1丁目荒神山の地で墓誌を納めた墓が発見された。墓は国の史跡に,鍍金銅版製の優品である墓誌は国宝に指定。

(今泉隆雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

いしかわのとしたり【石川年足】

688‐762(持統2‐天平宝字6)
奈良時代の官人。名族蘇我氏の末裔にあたる。曾祖父蘇我連子は天智朝の大臣,父石川石足(いわたり)も従三位にまで昇った。年足は最初,少判事,地方官などを歴任した。官人として有能,廉勤であり,739年(天平11)には,出雲国守としてその善政を賞せられている。奈良時代中葉,藤原仲麻呂が台頭してくると,年足はその政権下で重用され,749年(天平勝宝1)には式部卿のまま,仲麻呂が拠点とした紫微中台(しびちゆうだい)の大弼(次官)を兼ね,参議となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石川年足
いしかわのとしたり
(688―762)

奈良時代の貴族。斉明(さいめい)朝の大臣蘇我臣(そがのおみ)牟羅志(むらし)の曽孫(そうそん)。左大弁石川朝臣(あそん)石足(いわたり)の長子。735年(天平7)出雲守(いずものかみ)のとき、その善政によって能吏として名をあげ、以来東海道巡察使、諸国国分寺造立の督促使(とくそくし)、宇佐八幡(うさはちまん)神入京の際の迎神使、大宰帥(だざいのそち)などを歴任し、御史大夫(ぎょしたいふ)(大納言(だいなごん))正三位(さんみ)兼文部(式部)卿(きょう)、神祇伯(じんぎはく)、勲十二等に至った。
 その間、758年(天平宝字2)恵美押勝(えみのおしかつ)(藤原仲麻呂(なかまろ))らと官号を唐風に改め、翌年律令(りつりょう)とともに格式も重要であると進言して別式20巻を撰上(せんじょう)した。1820年(文政3)摂津国荒神山(大阪府高槻(たかつき)市)から発見された年足の墓誌銘(長さ29.6センチメートル、幅10.3センチメートル、厚さ0.3センチメートルの金銅板。『寧楽(なら)遺文』所収)は、その事跡をよく伝えている。[平田耿二]

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