石沢村(読み)いしざわむら

日本歴史地名大系 「石沢村」の解説

石沢村
いしざわむら

[現在地名]船引町石沢

新館にいたて村の東、長外路ながとろ村の北、うつしヶ岳北西麓の山地と丘陵地に立地。中央を西流する移川沿岸にわずかに平地が開け小集落が散在。同川沿いに相馬へ至る道が通り、途中百目木どうめき(現岩代町)への道が分岐する。中世は田村庄のうち。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢(青山文書)に「三段 三百文 石さわ」「七段 六百文 東木村」「三段 三百文 よもき田」とみえる。移川の上流域に石沢、その下流域に東木村ひがしきむら(現字木村)蓬田よもぎだがあり、それぞれ紀州熊野新宮に年貢を納めている。


石沢村
いしざわむら

[現在地名]倉石村石沢

五戸ごのへ(現五戸町)南西五戸川中流に位置する。東は五戸村、西は中市なかいち村、南は浅水あさみず(現五戸町)、北はきた米田まいた(現十和田市)に接する。

永仁五年(一二九七)の五戸郷検注注進状(新渡戸・岩大文書)に「一いしさわのかう 五ちやう六たん八かうのうち くてん三ちやう三たん六かう」とある。永正(一五〇四―二一)の頃の糠部九箇部馬焼印図(古今要覧稿)の「五ノ部」の項に「石沢印 かた車 如此委細見絵図 領主佐藤方の印也」とあり、牧野が開設され、佐藤氏の所領とされていたが、同氏の事跡については不明。


石沢村
いしざわむら

[現在地名]大宮町石沢

たま川の左岸にあり、北東部垂へたれ村。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「石沢村」とみえる。「常陸国北郡里程間数之記」にこの村に「天女ノ小社アリ社地ヨリ紺青ヲ出セリ爾後其地上豆ノ如ク起立シテ其色ウス青ク露出セルトナリ、日ニ乾シテ紺青トナス即画家ニ用ユルト言」と記される。

寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)真言宗の部によると、西林さいりん寺は旦那五一人、静照せいしよう院は旦那五人、歓喜かんき院は旦那一〇人、成就じようじゆ院は旦那一人、円照えんしよう院は旦那八人を有したが、すべて破却。


石沢村
いしざわむら

[現在地名]上越市石沢

今泉いまいずみ村の南にあり、北国街道に沿う。正保国絵図によると高二一三石余。天和三年郷帳では高四五六石六斗余、うち漆高七升・野高一升五合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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