石渡荘太郎(読み)イシワタ ソウタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「石渡荘太郎」の解説

石渡 荘太郎
イシワタ ソウタロウ


肩書
蔵相,宮内相,貴院議員

生年月日
明治24年10月9日

出生地
東京

学歴
東京帝大法科大学英法科〔大正5年〕卒

経歴
大蔵省に入り、司税官、国税課長を経て、昭和9年主税局長、11年内閣調査局調査官、12年第1次近衛内閣の大蔵次官。北支事件特別増税案などを立案。14年平沼内閣の蔵相。その後、米内内閣書記官長、大政翼賛会事務総長を歴任し、17年国民政府・汪兆銘政権の最高経済顧問として南京赴任。19年帰国後、東条内閣小磯内閣の蔵相となり、強硬な増税政策を推進した。20年鈴木貫太郎内閣宮内相、21年公職追放。

没年月日
昭和25年11月4日

家族
父=石渡 敏一(枢密顧問官)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「石渡荘太郎」の解説

石渡 荘太郎
イシワタ ソウタロウ

大正・昭和期の大蔵官僚,政治家 蔵相;宮内相;貴院議員。



生年
明治24(1891)年10月9日

没年
昭和25(1950)年11月4日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大法科大学英法科〔大正5年〕卒

経歴
大蔵省に入り、司税官、国税課長を経て、昭和9年主税局長、11年内閣調査局調査官、12年第1次近衛内閣の大蔵次官。北支事件特別増税案などを立案。14年平沼内閣の蔵相。その後、米内内閣書記官長、大政翼賛会事務総長を歴任し、17年国民政府・汪兆銘政権の最高経済顧問として南京に赴任。19年帰国後、東条内閣、小磯内閣の蔵相となり、強硬な増税政策を推進した。20年鈴木貫太郎内閣宮内相、21年公職追放。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「石渡荘太郎」の意味・わかりやすい解説

石渡荘太郎 (いしわたそうたろう)
生没年:1891-1950(明治24-昭和25)

大蔵官僚,貴族院議員。東京出身。枢密顧問官石渡敏一長男。東大英法科卒。1916年大蔵省に入り税務畑を歩み,34年主税局長,36年内閣調査局(企画院の前身)に調査官として転出革新官僚,軍少壮幕僚と接する。37年大蔵次官となり北支事件特別税法,支那事変特別税法などを事実上立案した。39年平沼騏一郎内閣,44年東条英機内閣には蔵相として入閣,貯蓄増強と軍需金融の円滑化に力を注いだ。45年宮内大臣となって終戦処理に当たる。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石渡荘太郎」の解説

石渡荘太郎 いしわた-そうたろう

1891-1950 大正-昭和時代の官僚,政治家。
明治24年10月9日生まれ。石渡敏一の長男。昭和14年平沼内閣の蔵相となる。中国南京の汪兆銘(おう-ちょうめい)政権の最高経済顧問をつとめ,16年大政翼賛会の事務総長。19年東条内閣の蔵相,小磯(こいそ)内閣の蔵相。20年内閣書記官長をへて宮内大臣。貴族院議員。昭和25年11月4日死去。59歳。東京出身。東京帝大卒。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石渡荘太郎」の意味・わかりやすい解説

石渡荘太郎
いしわたそうたろう

[生]1891.10.9. 東京
[没]1950.11.14. 東京
財政家。東京帝国大学卒業後,大蔵省に入りのち大蔵次官。 1939年平沼騏一郎内閣の蔵相に就任した。その後,米内光政内閣の内閣書記官長,大政翼賛会事務総長,国民政府最高経済顧問,東条英機内閣および小磯国昭内閣の蔵相をつとめた。枢密顧問官石渡敏一の子。

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367日誕生日大事典 「石渡荘太郎」の解説

石渡 荘太郎 (いしわたり そうたろう)

生年月日:1891年10月9日
大正時代;昭和時代の官僚;政治家。貴族院議員;大蔵大臣
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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