石田遺跡(読み)いしだいせき

日本歴史地名大系 「石田遺跡」の解説

石田遺跡
いしだいせき

[現在地名]水沢市 寺領

胆沢いさわ扇状地の水沢段丘北側縁辺部にある。標高約六二メートル。調査は昭和四九―五一年(一九六四―六六)の三ヵ年にわたって行われた。検出された遺構奈良・平安時代の竪穴住居跡四五棟・竪穴状遺構三棟・掘立柱建物跡六棟・大溝四条、その他の溝二五条などである。竪穴住居跡を区分すると奈良時代前期九棟・奈良時代後期二三棟・平安時代九棟・不明四棟である。奈良時代前期の住居跡は調査区西側に位置し、七棟が北に、二棟が南に固まって検出された。

石田遺跡
いしだいせき

[現在地名]寒河江市寒河江 石田

高瀬たかせ山丘陵東縁に広がる微高地に立地する縄文時代晩期から平安時代の遺跡。大正一〇年(一九二一)村山軽便鉄道(現JR左沢線)の建設の際に出土した弥生時代後期の石田II式土器は、山形県で弥生土器として認識された最初のものである。線路の東側をB地点、西側をA地区とよんでいる。B地区は昭和四三年(一九六八)に発掘調査が行われ、縄文時代晩期前半大洞B―C1式期の土器・石器類多数と、泥炭層のためによく保存された朱塗の櫛・木製装身具・クルミなどの植物遺存体が発見されている。一方A地区は同五五年の宅地造成の際に弥生時代前期の大洞A′式期―石田I式期の大型壺・甕が発見された。

石田遺跡
いしだいせき

[現在地名]新発田市上石川 石田

坂井さかい川の支流石川いしかわ川右岸の標高五五―五八メートル、河岸段丘上に立地する縄文時代中期の代表的な遺跡。昭和四九年(一九七四)、圃場整備工事に伴い、遺跡の範囲・包含状況を把握するために発掘調査が実施された。縄文中期の石囲い炉八基が検出され、中期中葉の馬高式土器を伴う「コ」の字形石囲い炉、中期末葉の埋甕を伴う複式炉が確認されている。

石田遺跡
いしだいせき

[現在地名]向日市森本町 石田

向日段丘崖下の標高一四―一五メートルの低地に位置する縄文後期の集落跡。西側を南流する石田川は、当時は当遺跡を西北から東南に貫流していたことが発掘調査の結果わかったが、石田川の上流五〇〇メートルには、弥生中期を中心とした集落遺跡森本もりもと遺跡がある。

昭和四五年(一九七〇)土中から縄文時代の土器・石器が多量に採集されて発見された。従来考えられていた縄文時代の遺跡の立地からみれば低湿地に位置することが注目され、土器・石器に混じってモモウメトチなどの木の実などが良好に遺存して出土したことも注目された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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