硫黄島の戦い(読み)いおうとうのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「硫黄島の戦い」の意味・わかりやすい解説

硫黄島の戦い(いおうとうのたたかい)
いおうとうのたたかい

太平洋戦争末期、日米軍の間で戦われた島嶼(とうしょ)攻防戦。小笠原(おがさわら)諸島に属する硫黄島は東京とマリアナ米軍基地との中間に位置していたため、米軍はB-29爆撃機による日本本土空襲の中継基地として、また掩護(えんご)戦闘機隊の出撃基地とするため同島の攻略を企図した。米軍は1945年(昭和20)2月16日同島に対する艦砲射撃を開始し、19日より多数の艦艇と航空兵力の掩護のもとに海兵2個師団の上陸を開始、21日にはさらに1個師団を上陸させた。栗林忠道(くりばやしただみち)(1891―1945)中将の指揮する約2万3000人の日本軍守備隊は、島内に無数の地下道を張り巡らし、徹底した陣地持久戦によって抵抗したため、米軍の損害が続出したが、圧倒的な砲爆撃に支えられた米軍の猛攻によって、3月末には日本軍の抵抗は終わりを告げた。対日戦において米軍が反攻に転じて以降、米軍の損害(死傷者数2万5000人)が日本軍のそれを上回った唯一の地上戦闘として有名である。なお、硫黄島は米軍により「いおうじま」とよばれ、戦後はこの呼び方が定着したことから、「いおうじまのたたかい」といわれることもあるが、硫黄島の呼称は、2007年(平成19)6月国土地理院により旧島民が戦前より使用している「いおうとう」に変更されている。

吉田 裕]


硫黄島の戦い(いおうじまのたたかい)
いおうじまのたたかい

太平洋戦争の末期、日米軍の間で戦われた島嶼(とうしょ)攻防戦。正しくは「いおうとうのたたかい」。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「硫黄島の戦い」の意味・わかりやすい解説

硫黄島の戦い
いおうとうのたたかい

太平洋戦争中の 1945年2月 19日,ハリー・シュミット海兵隊少将指揮下のアメリカ海兵隊3個師団6万 1000人が高速空母機動部隊と水陸両用支援部隊の援護,支援のもと硫黄島に上陸し,栗林忠道陸軍中将指揮下の2万 2000人の陸海軍部隊からなる日本守備隊との間で行なった戦い。3月 26日,栗林中将と海軍部隊指揮官の市丸利之助少将の自決をもって日本軍の組織的な抵抗は終わった。戦略上アメリカ軍にとって硫黄島は,ボーイングB-29爆撃機による日本本土爆撃の基地として重要地点であり,日本軍にとってもB-29をその往路にも帰路にも攻撃することができる,きわめて重要な戦略的拠点であった。このため大本営は硫黄島を本土防衛の第一線として確保する方針であった。日本軍は天然の洞穴や岩場を最大限に利用して地下陣地を構築。一方アメリカ軍はこれまでの太平洋諸島の戦いで最大量の砲撃・爆撃をもって攻撃。1ヵ月以上の攻防ののちアメリカ軍は多数の死傷者を出して硫黄島を奪取した。アメリカ側は戦死者 6891人,負傷者1万 8070人,日本側は投降した 212人を除き全員が戦死,あるいは自決した。

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