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硫黄島の戦い いおうとうのたたかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

硫黄島の戦い
いおうとうのたたかい

太平洋戦争中の 1945年2月 19日,ハリー・シュミット海兵隊少将指揮下のアメリカ海兵隊3個師団6万 1000人が高速空母機動部隊と水陸両用支援部隊の援護,支援のもと硫黄島に上陸し,栗林忠道陸軍中将指揮下の2万 2000人の陸海軍部隊からなる日本守備隊との間で行なった戦い。3月 26日,栗林中将と海軍部隊指揮官の市丸利之助少将の自決をもって日本軍の組織的な抵抗は終わった。戦略上アメリカ軍にとって硫黄島は,ボーイングB-29爆撃機による日本本土爆撃の基地として重要地点であり,日本軍にとってもB-29をその往路にも帰路にも攻撃することができる,きわめて重要な戦略的拠点であった。このため大本営は硫黄島を本土防衛の第一線として確保する方針であった。日本軍は天然の洞穴や岩場を最大限に利用して地下陣地を構築。一方アメリカ軍はこれまでの太平洋諸島の戦いで最大量の砲撃・爆撃をもって攻撃。1ヵ月以上の攻防ののちアメリカ軍は多数の死傷者を出して硫黄島を奪取した。アメリカ側は戦死者 6891人,負傷者1万 8070人,日本側は投降した 212人を除き全員が戦死,あるいは自決した。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

硫黄島の戦い

東京から南方約1250キロにある硫黄島で1945年2月から1カ月以上続いた日本軍と米軍の激戦。2月19日に上陸した米軍に対し、日本軍は本土への空襲を阻止するため、地下壕(ごう)を掘り、持久戦を展開した。日本軍は3月17日に玉砕。防衛省防衛研究所の統計では死傷者は日米合わせて約5万人。厚生労働省によると、2万1900人とされる日本人戦死者のうち、約1万1550人の遺骨が未収容となっている。

(2015-02-23 朝日新聞 夕刊 1総合)

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