絵巻。愛知・徳川美術館ならびに東京・五島(ごとう)美術館蔵。いずれも国宝。紫式部の『源氏物語』を題材としたもので、徳川本はもと3巻、五島本はもと1巻の巻物であったが、現在はいずれも各段ごと詞(ことば)と絵とを離して、額装(徳川本43面、五島本13面)に改められている。徳川本は「蓬生(よもぎう)」「関屋(せきや)」「絵合(えあわせ)」「柏木(かしわぎ)」「横笛(よこぶえ)」「竹河(たけかわ)」「橋姫(はしひめ)」「早蕨(さわらび)」「宿木(やどりぎ)」「東屋(あずまや)」などの巻から抜粋した詞16段(28面)と絵15図を、五島本は「鈴虫(すずむし)」「夕霧(ゆうぎり)」「御法(みのり)」の巻から抜粋した詞4段(9面)と絵4図とを伝える。このほかにも「末摘花(すえつむはな)」「松風(まつかぜ)」「薄雲(うすぐも)」「少女(おとめ)」「蛍(ほたる)」の巻の詞の断片が諸家に伝存。あわせて源氏54帖(じょう)のうち18帖、詞25段、絵19図が残っていることになる。なお近年、東京国立博物館の「若紫」図も本絵巻の断簡との説が出ている。現存諸巻の配列関係の状態から推定して、この絵巻は54帖の各巻のなかから数段ずつの場面を選んで構成し、全体ではおよそ10巻程度の作品であったとみられる。詞は『源氏物語』の本文のなかから絵画化にふさわしいと思える箇所を抜き出し、流麗な仮名文字で書かれる。その書風は5種に分類され、5人の手になったとみられるが、いずれも平安書道の名筆に価し、ことに「柏木」「御法」などの詞書にみられる散らし書きや重ね書きの美しさは、仮名の造形美の極致を示すものといえる。詞をしるした料紙は金銀の砂子をまき、野毛や切箔(きりはく)を散らし、あるいは描き文様を施すなど、装飾の善美が尽くされている。
絵は「作り絵」の画風で描かれ、濃麗な色彩を重ねた典雅で優艶(ゆうえん)な画面は、一種の装飾画的な趣(おもむき)をたたえる。絵巻の大半を占める屋内の描写には「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」の手法が用いられる。これは寝殿造(しんでんづくり)の屋台から屋根や天井を取り去り、斜め上方から室内を見下ろす俯瞰(ふかん)的な構図法で、『源氏物語』のような王朝貴族の室内生活を中心とした物語の絵画化には最適な手法といえる。人物は、当時貴族の顔貌(がんぼう)表現の典型である「引目鈎鼻(ひきめかぎはな)」によって表される。目に細い一線を引き、鼻は「く」の字形に描かれ、唇に朱を点ずる類型的描写で、個性、表情に乏しいが、かえって静謐(せいひつ)な画面を生んで限りない情趣を漂わせる。絵は藤原隆能(たかよし)(12世紀中ごろの宮廷絵師)と伝えられるが確証はなく、画風からみてやはり数人ないし数グループの制作が想定できる。
[村重 寧]
『田中一松編『新修日本絵巻物全集2 源氏物語絵巻』(1975・角川書店)』▽『小松茂美編『日本絵巻大成1 源氏物語絵巻他』(1977・中央公論社)』▽『佐野みどり著『名宝日本の美術10 源氏物語絵巻』(1981・小学館)』
平安時代の代表的絵巻物の一つ。《源氏物語》の絵画化,すなわち源氏絵は,物語成立後まもなくはじめられ,中世・近世を通じて愛好された。そのなかで現存する最古の作品が徳川黎明会(尾張徳川家伝来)と五島美術館(阿波蜂須賀家伝来)に分蔵されている《源氏物語絵巻》である。この徳川・五島本は,《源氏物語》54帖中,〈蓬生(よもぎう)〉から〈東屋〉までの12帖,19場面の絵と詞書20段から成り,現在は額装に仕立てられている。そのほかに詞書の断簡が9種類,加えて近年〈若紫〉の1図の存在が明らかになった。この絵巻は,《源氏物語》54帖のそれぞれから1~3場面を選んで絵画化し,対応する本文の1節を金銀箔を散らした料紙に書写して,詞と絵を交互に継いだいわゆる段落式の構成になり,当初は80~90段,全10巻ほどの規模であったと推定されている。このうち徳川本の〈柏木〉〈横笛〉の帖と五島本の〈鈴虫〉〈夕霧〉〈御法(みのり)〉の帖,合わせて5帖8段は当初の1巻分に相当すると考えられる。この1巻は詞書,絵とも古典的な造形美を見せて現存諸段の中心をなすとともに,内容的にも重要である。すなわち〈柏木〉〈鈴虫〉〈御法〉の6場面は,晩年の光源氏の宿命的な悲劇を描く物語のクライマックスの部分にあたり,そのなかからドラマティックな場面を選び,また〈横笛〉〈夕霧〉の2場面は副次的なエピソードとするなど,当初の場面選択の意識,構成法を知ることができる。画家は登場人物の複雑な心理や情趣深い背景をいかに造形化するかに意を尽くし,粗い下描線で図取りした上を顔料で厚く塗り込め,最後に細く鋭い線で描きおこす作絵(つくりえ)の技法を最大限に活用している。画面の緻密に計算された有機的構図が各場面の詩的な情趣を象徴的に表現するとともに,引目鉤鼻(ひきめかぎばな)と呼ばれる類型化した面貌描写も,実際には細緊な筆線を引き重ねることによって人物の微妙な心理を表出しえている。絵の作者は12世紀中期に活躍した宮廷画家藤原隆能(たかよし)と伝えられ,この絵巻も隆能源氏として親しまれてきた。しかし,詞書の書風が4~5種に分かれているように,画風も表現技法の点から,〈柏木〉から〈御法〉までの1巻を頂点として大きく4グループほどに分類され,おそらく12世紀前半,白河・鳥羽の院政期に優れた宮廷画家たちを中心に分担制作されたものと思われる。
執筆者:田口 栄一
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12世紀前半制作の現存最古の源氏絵の絵巻物。「源氏物語」の各帖から1~3場面を選びだして5グループで分担制作したものと推定されるが,現在では詞20段,絵19段の8帖分と若干の断簡が伝わるのみ。しかし現存部分からだけでも書風・絵画表現などに各グループの趣向がわかる。金銀箔散らしなどで加飾された手のこんだ料紙に詞書(ことばがき)を記し,吹抜屋台(ふきぬきやたい)の構図に引目鉤鼻(ひきめかぎはな)で表された男女を濃彩で描きだした,平安時代を代表する豪華な絵巻物。画面の剥離部分には当初の下絵や書きこみの文字などがみられ,当時の宮廷絵所でのつくり絵の分担制作の状況がうかがえる。縦21.2~22.0cm。徳川美術館・五島美術館分蔵。国宝。
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…一本の線で目を描き,鼻は単純な鉤形としながらそこに微妙なニュアンスを持たせ,さまざまな表情を見るものに感じさせるというものである。《源氏物語絵巻》はこうした技法,いわゆる女絵の画態による典型的作品であり,各場面のもつ深い詩的情趣やさらには主人公の心理の表現までも可能としている。これに対し連続式絵巻では,動きのある描線を自由に駆使し,最初にひいた描線を生かしながら,彩色を加えていく技法を用いる。…
…女絵の語は,当初こうした女性自身の手によって描かれ女性好みの優美で情緒的な画態であったところから命名されたものであろう。このころ作られた物語絵はのこらないが,いわば素人の画技の延長上にあった女絵も,専門画人の参加によってしだいに技法的に高められ,12世紀前半には徳川・五島本《源氏物語絵巻》のようなつくり絵の華麗で細密な様式を完成させた。このように女絵の語が明確な様式概念を含むようになるにつれ,対立語として登場するのが男絵の語である。…
…鳥羽上皇の肖像画を承安4年(1174)に天王寺において拝した藤原経房が〈故隆能画〉と《吉記》に記していることより,そのおおよその没年が知られる。かつて徳川・五島本《源氏物語絵巻》の作者として名高かったが,それは江戸時代の鑑定家によるものである。今日12世紀前半と考えられている同絵巻の成立より,推定される彼の作画期間はややおくれることからも,認めがたい。…
※「源氏物語絵巻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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