碧巌録(読み)ヘキガンロク

デジタル大辞泉 「碧巌録」の意味・読み・例文・類語

へきがんろく【碧巌録】

中国の仏教書。10巻。圜悟克勤えんごこくごん著。1125年成立。雪竇重顕せっちょうじゅうけんが百則の公案を選んだものに、著者垂示(序論的批評)・著語じゃくご(部分的短評)・評唱(全体的評釈)を加えたもの。臨済宗で最も重要な書とされる。仏果圜悟禅師碧巌録。碧巌集。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「碧巌録」の意味・わかりやすい解説

碧巌録
へきがんろく

中国、宋(そう)代の仏書。10巻。中国禅宗五家の一、雲門宗の雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)(980―1054)が、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)や雲門文偃(うんもんぶんえん)を中心とする古則公案百則を集めて頌(じゅ)を付した『雪竇頌古(じゅこ)』に、臨済(りんざい)宗の圜悟克勤(えんごこくごん)(1063―1135)が自在に評釈を加えた書。古くは『碧巌集』という。禅の公案集として第一のもので、成立して以後、数多くの刊行がある。現存のものでは、1300年(大徳4)の張明遠(ちょうめいえん)による刊本を最古とするが、付される序文などにより、それ以前の刊行のあったことが知られる。とくに現在、金沢市大乗寺に所蔵される『碧巌破関撃節(へきがんはかんきゃくせつ)』(『一夜碧巌』)は、入宋(にっそう)していた永平道元(えいへいどうげん)が帰朝に際して、白山権現(はくさんごんげん)の助力を得て、一夜にて書写したと伝えられるもので、『碧巌集』の古型を伝えて貴重である。日本でも各時代を通じて提唱本、講義本が多数成立したが、そのなかでも、大智実統(だいちじっとう)の『碧巌集種電鈔(しゅでんしょう)』、岐陽方秀(きようほうしゅう)の『碧巌録不二鈔(ふにしょう)』、大空玄虎(だいくうげんこ)の『碧巌大空鈔(だいくうしょう)』、万安英種(ばんなんえいしゅ)の『碧巌録鈔』などが代表的なものである。

[永井政之]

『加藤咄堂著『碧巌録大講座』全15冊(1939・平凡社)』『西谷啓治・柳田聖山編『世界古典文学全集36B 禅家語録Ⅱ』(1974・筑摩書房)』『朝比奈宗源訳註『碧巌録』全3冊(岩波文庫)』『入矢義高・梶谷宗忍・柳田聖山編『禅の語録15 雪竇頌古』(1981・筑摩書房)』『平田高士著『仏典講座29 碧巌集』(1982・大蔵出版)』


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改訂新版 世界大百科事典 「碧巌録」の意味・わかりやすい解説

碧巌録 (へきがんろく)
Bì yán lù

中国,宋代禅文学の代表典籍。10巻。詳しくは,《仏果圜悟(えんご)禅師碧巌録》または《仏果碧巌破関撃節》という。禅宗五家の一派,雲門宗4世の雪竇重顕(せつとうちようけん)が,仏祖の問答100則を選んで,頌をつけたものにもとづいて,臨済宗楊岐4世の仏果禅師圜悟克勤が,それらの一句ごとに下語を加え,さらに全体について提唱したもの。碧巌とは,仏果が原書を提唱した禅院の一つ,潭州夾山霊泉寺の開創にちなむ句より来ていて,夾山の境地を問う僧に答えて,開山の善会が,〈猿は子を抱いて青嶂の後に帰り,鳥は花を銜(は)んで碧巌の前に落つ〉と歌ったのに基づく。破関はリズム,撃節は調子を合わせることである。流布本は,元代に再編された刊本によるが,道元が宋より伝えたという刊本以前の写本も存する。古くより,公案集の代表とみられ,宗門第一の書とよばれて,中国と日本の禅宗に大きく影響し,近代,ヨーロッパの言葉に訳されたものも,幾種かある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「碧巌録」の意味・わかりやすい解説

碧巌録
へきがんろく
Bi-yan-lu

臨済宗の公案を集めたもの。『碧巌集』ともいう。詳しくは『仏果圜悟 (えんご) 禅師碧巌録』。 10巻。中国,宋の宜和7 (1125) 年完成。雪竇重顕 (せっちょうじゅうけん) が『伝燈録』 1700則の公案のなかから 100則を選び,それぞれに偈頌を加え,さらにそれに対して圜悟が各則ごとに,垂示 (すいじ) ,著語 (じゃくご) ,評唱を加えて成立した。圜悟の弟子によって編集刊行されたあと,中国,日本で何度も刊行され,参禅弁道のための宗門第1の書として珍重されている。

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百科事典マイペディア 「碧巌録」の意味・わかりやすい解説

碧巌録【へきがんろく】

中国宗代の禅文学の典籍。詳しくは《仏果圜悟(えんご)禅師碧巌録》または《仏果碧巌破関撃節》。《碧巌集》とも。臨済宗で最も重視する語録。〈伝灯録〉の1700則の公案の中から,雪竇重顕(せっちょうちょうけん)が100則を選び,これに圜悟克勤が垂示・評唱・著語を付したもの。北宋の1125年完成。一時,顧みられなかったが,元代から臨済宗で重用されるようになった。
→関連項目無門関

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防府市歴史用語集 「碧巌録」の解説

碧巌録

 臨済宗[りんざいしゅう]で重んじられる仏教書物です。中国・宋[そう]の時代につくられました。

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世界大百科事典(旧版)内の碧巌録の言及

【雲門文偃】より

…その特色は相手の質問のポイントをつく,簡明直截の句にあり,天子の風ありと称せられて,その語録が尊ばれるほか,宋代に雪竇重顕(せつちようちようけん)が〈頌古百則〉をつくって,その文学性を強める。雪竇の〈頌古百則〉は,圜悟(えんご)の《碧巌録》のテキストとして,中国,日本の臨済禅の展開に大きく影響する。【柳田 聖山】。…

【圜悟】より

…張商英,張浚その他の高級官僚の帰依をうける。湖南の夾山霊泉院その他で,雪竇重顕(せつちようちようけん)の〈頌古百則〉を講じ,弟子たちが記録編集したものが,のちに《碧巌録》の名で刊行され,禅文学の古典となり,また日本では流れ圜悟,金渡しの墨跡など,書の作家としても知られる。【柳田 聖山】。…

【重顕】より

…蘇州の翠峯寺,明州の雪竇山資聖寺に化を振るい,《頌古百則》《拈古》《祖英集》《瀑泉集》等の作があり,語録を合わせて七部集という。その詩文は,翰林の才ありと評せられ,《頌古百則》は《碧巌録》の原本となる。修行時代,陰徳をよろこび,人に知れぬように便所掃除にはげんだことから,雪隠の名ができたといわれる。…

※「碧巌録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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