百科事典マイペディアの解説
磐城平元文一揆【いわきたいらげんぶんいっき】
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
江戸中期陸奥(むつ)国磐城平藩(福島県いわき市)で起こった全藩的な百姓一揆。磐城平藩内藤氏(7万石)は早くから藩財政が不安定であったが、18世紀に入ると、幕府享保(きょうほう)の改革期に生じた米価に対する諸物価高騰、幕府の命令による日光廟(にっこうびょう)修営、江戸藩邸の火災などにより極端な財政難に陥った。内藤氏はこれを、年貢率のアップ、新税賦課、臨時の御用金、夫役(ぶやく)金の徴収など、主として農民負担の強化によって打開しようとした。これに対し、すでに過酷な収奪に苦しんでいた領民は、1738年(元文3)秋、中神谷(なかかべや)村武左衛門(ぶざえもん)らの呼びかけで全領から約2万人が城下に結集し、年貢減免、新税撤回など19項目の要求を掲げて藩政の修正を求めて対決した。領主側は農民の圧力に屈し要求の大部分を飲んだが、一揆終息後、指導層を逮捕、約束を反故(ほご)にした。しかしこの一揆が原因で、まもなく内藤氏は日向延岡(ひゅうがのべおか)(宮崎県延岡市)へ転封されることになった。
[青木美智男]
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