アナール学派L'école des Annales(フランス語)は、「学派」というよりはむしろ、『アナール』誌を舞台に新しい歴史学を求めて集まった多種多彩な研究者仲間からなる「運動」というべきである。この呼称は、リュシアン・フェーブルとマルク・ブロックが1929年にストラスブールで創刊した『社会経済史年報』Annales d'histoire économique et sociale(1929~1938)に由来する。誌名は『社会史年報』Annales d'histoire sociale(1939~1941、1945)、『社会史論叢』Mélanges d'histoire sociale(1942~1944)と変わったが、1946年からは『アナール:経済、社会、文明』Annales. Économies, Sociétés, Civilisations、さらに『アナール(歴史、社会科学)』Annales(Histoire, Sciences sociales)と改称されて現在に至っている。アナール学派の源流は19世紀の歴史家ミシュレ、さらには18世紀の啓蒙(けいもう)哲学者ボルテールにさかのぼるが、直接的には19世紀なかばから20世紀初めの実証主義歴史学に対する批判から生まれた。その精神は「生きた歴史学」であり、すべての事象をつねに全体的な連関のうちにとらえること、過去をつねに現在との対話のうちにとらえることによって、過去に生きた人間全体をよみがえらせようとすることである。この精神は、ブローデル、アリエス、グベールPierre Goubert(1915―2012)、デュビーGeorges Duby(1919―1996)、マンドルーRobert Mandrou(1921―1984)らによって受け継がれた。フェーブルの死後ブローデルが『アナール』の編集長を引き継いでから、1960年代にはレビ・ストロースやフーコー、ブルデューなど隣接諸科学からの刺激も受けて、ショーニュPierre Chaunu(1923―2009)、ドリュモーJean Delumeau(1923―2020)、ル・ゴフJacques Le Goff(1924―2014)、フェローMarc Ferro(1924―2021)、アギュロンMaurice Agulhon(1926―2014)、ラデュリEmmanuel Le Roy Ladurie(1929―2023)、ボベルMichel Vovelle(1933―2018)ら若い世代の歴史家が出現した。アナール学派は、従来の歴史学の領域を超えて、気候、死、医学、病気、恐れ、子ども、家族、性愛、父性、女性、魔女、周縁性、狂気、夢、におい、書物、民衆文化、祭りなどさまざまな視点からマンタリテmentalité(英語のメンタリティ、物の考え方、精神構造)の研究をすすめるとともに、近代の国民国家意識が成立する以前、あるいはそれ以後も存続する国家と個人の間に介在する地域社会の多様な人的ネットワーク(corporations=社団)の諸相を読みとるソシャビリテsociabilité研究をも手がけている。アナール学派の多彩な顔ぶれから生まれた研究はまさに百花繚乱(りょうらん)であって、それをひとことで特徴づけることは不可能であるが、彼らが現代のさまざまな危機を打開するために西欧近代社会を徹底的に問い直す作業をしてきたことだけは確かである。
[米田潔弘 2019年1月21日]
『ル・ロワ・ラデュリ著、樺山紘一他訳『新しい歴史――歴史人類学への道』(1980・新評論)』▽『二宮宏之著『全体を見る眼と歴史家たち』(1986・木鐸社)』▽『竹岡敬温著『「アナール」学派と社会史――「新しい歴史」へ向かって』(1990・同文館出版)』▽『F・ブローデル、J・H・ヘクスター、H・R・トレヴァー・ローパー著、赤井彰・高橋正男・古川堅治編訳『ブローデルとブローデルの世界――「アナール派」史学研究のために』(1991・刀水書房)』▽『G・デュビー、ギー・ラルドロー著、阿部一智訳『歴史家のアトリエ』(1991・新評論)』▽『F・ブローデル著、浜名優美訳『地中海』全5巻(1991~1995・藤原書店)』▽『P・バーク著、大津真作訳『フランス歴史学革命――アナール学派1929―89』(1992・岩波書店)』▽『ジャック・ルゴフ他著、二宮宏之編訳『歴史・文化・表象――アナール派と歴史人類学』(1992・岩波書店)』▽『マルク・ブロック著、堀米庸三監訳『封建社会』(1995・岩波書店)』▽『ピーター・バーク編、谷川稔他訳『ニュー・ヒストリーの現在――歴史叙述の新しい展望』(1996・人文書院)』▽『福井憲彦著『「新しい歴史学」とは何か――アナール派から学ぶもの』(講談社学術文庫)』
フランス現代歴史学の有力な一潮流。リュシアン・フェーブルとマルク・ブロックが1929年に創刊した《社会経済史年報Annales d'histoire économique et sociale》を拠点としていたところから,この名がある。伝統的歴史学が,歴史の表層にしか目を向けず,訓詁の学に終始していることを批判し,人間活動の総体を生きた姿においてとらえる視点の重要性を強調して,人間諸科学の交流の上に立った〈新しい歴史学〉の創造を提唱している。誌名は,第2次大戦下,Annales d'histoire sociale(1939-41),Mélanges d'histoire sociale(1942-44),Annales d'histoire sociale(1945)と変わったが,1946年からは《年報--経済・社会・文明Annales.Économies,Sociétés,Civilisations》となり現在に至っている。フェーブル,ブロックに続いては,ブローデル,デュビー,ル・ゴフ,ル・ロア・ラデュリらが,中心的な担い手である。
執筆者:二宮 宏之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
「アナール」(年報)の名は,フランスの中世史家マルク・ブロックと近世史家リュシアン・フェーヴルが新しい歴史学を提唱して1929年に創刊した『経済・社会史年報』に由来する。それまで支配的な政治事件中心の実証主義史学に対して,構造分析を重視する観点と方法を提唱し,経済学,社会学,地理学,心理学などの方法を歴史に採り入れて,歴史研究に新風を巻き起こした。第二次世界大戦後はフランス以外にも大きな影響を及ぼし,人類学,文化理論を採り入れて新分野を開拓した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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[近代的親子関係の形成]
洋の東西をとわず,子の利益,福祉が家族,財産,親よりも優先され,第一義的に保護されるべきものと考えられるようになったのは,親子間の実態においても,また規範秩序にあっても,歴史の上では比較的最近のことで,とくに人権思想の発展をみてからである。 フランスの歴史の中での親子関係をみた場合に,中世以後,長子があととりとして予定された貴族階層以外の,一般民衆の親子関係の実態が,最近,アナール学派によって明らかにされた。それによれば,17世紀まで,子どもたちは親の手によって教育されたのではなく,7~8歳に達すると,村落共同体の中でおとなといっしょに生活し,働いたり,あるいは徒弟奉公に出されるなかで生活者としての教育を身につけるように仕向けられるか,軍隊や修道院に送り込まれ,生涯親もとに帰って来ない者もいた。…
※「アナール学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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