日本大百科全書(ニッポニカ) 「社会発展段階説」の意味・わかりやすい解説
社会発展段階説
しゃかいはってんだんかいせつ
Theory on the stages of social development
社会全体の歴史的発展の行程にいくつかの段階を画して、社会発展の法則を明らかにしようとする理論。18世紀においてイギリスのファーガソンは、狩猟、漁労、採取で生活し、私的所有も支配服従関係もない野蛮状態、獣群の私有、貧富の差、保護者・被保護者の存在する未開状態、近代の文明的商業国民を最高の段階としてもつ、私的所有とそれを保護する統治との存在する市民社会とを区別した。またスミスは、狩猟民・牧畜民の社会と、製造業の改善と外国商業の拡大とに先行する営農の未開状態における営農者の社会とを野蛮な諸社会と名づけ未開社会とよぶ。これに対して文明社会では、富裕の自然的進歩が農業→製造業→外国貿易へと貫徹して、最後に「商業社会」が実現することになる。
フランスではコンドルセが、人類の歴史を人間精神の進歩に即して10期に段階づけた。彼のこの段階区分に一貫した原理が欠けていると批判した社会学者コントは、人間の知性のあり方を基準に、社会が神学的段階から形而上(けいじじょう)学的段階を経て実証的段階に至るという「三段階の法則」をたてた。神学的段階では中世的な有機的秩序が、形而上学的段階ではルネサンス以降の無政府状態が、実証的段階ではより高次の近代的な有機的秩序が実現するというのである。
19世紀末のフランスの社会学者デュルケームは、分業のない「機械的連帯」の社会から、分業による「有機的連帯」の社会への発展を説き、イギリスの社会学者スペンサーは、「軍事型」の社会から、「産業型」の社会への発展を説いた。ドイツの社会学者テンニエスは、利害打算に基づかない人々の集まりとしての共同社会から、利害打算と契約とに基づく利益社会(ゲゼルシャフト)への発展を説き、かつ利益社会の新しい高次の共同社会による克服を含意させた。
以上のさまざまな社会発展段階説よりも重要なのがマルクス主義のそれである。それは、原始共産主義、アジア的生産様式、奴隷制、封建制、資本主義、社会主義という社会発展の段階区分を行う。問題はアジア的生産様式の位置づけにあって、論者によって意見の分かれるところであるが、これらの諸段階を単線的な発展段階として理解するのは正しくない。アジアではアジア的生産様式を基礎として、アジア的奴隷制、アジア的封建制等々が展開すると考えるべきであろう。
このようなマルクス主義の社会発展段階説に対抗して出されたのがロストウのそれで、それは、伝統的社会→離陸のための先行条件→離陸→成熟への前進→高度大衆消費時代という五つの成長段階をたてた。
南北問題とのかかわりで、社会発展段階説は問い直しが必要であると考えられている。それは、後進国ないし低開発国は、先進国がたどったのと同じ道を通って発展するのか否かという問題である。この点で注目に価するのはガーシェンクロンAlexander Gerschenkron(1904―78)の説である。それは、後進国はまさにその出発点における後進性のゆえに先進国と同じ路線をたどることができないという複線理論である。ここで問題となるのは、一国の社会の発展と一つのシステムとしての世界体制の発展との関係である。
[古賀英三郎]