朝日日本歴史人物事典 「祐尊」の解説
祐尊
生年:元徳1(1329)
南北朝・室町時代初期の東寺の僧。名字は高井,上総と称した。父は仁和寺華厳院法印弘雅の青侍法橋定祐。文和1/正平7(1352)年に東寺領播磨国矢野荘(兵庫県相生市)例名 に赴任し,学衆方所務代官として荘務の現地責任者となる。守護方との巧みな交渉により押領された所領の回復を果たし,法眼にまで昇進するが,自領の名田を拡大するなどの強引な荘経営が反発を呼び,永和3/天授3(1377)年1月の百姓などの強訴によって代官を解任される。しかし帰洛後,永徳3/弘和3(1383)年には東寺雑掌に任ぜられて東寺の渉外責任者となり,室町幕府・守護との訴訟や交渉の前面に立って長く活躍した。晩年は,足利義満の寵童御賀丸に仕えた子の祐舜法橋の負債を負わされて極度の貧困に陥り,その死後は妻が荼毘の費用の援助を東寺に求めたほどだった。<参考文献>伊藤俊一「高井法眼祐尊の一生―南北朝~室町前期における東寺の寺領経営と寺官―」(『日本史研究』354号)
(伊藤俊一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報