神坂峠遺跡(読み)みさかとうげいせき

日本歴史地名大系 「神坂峠遺跡」の解説

神坂峠遺跡
みさかとうげいせき

[現在地名]阿智村大字智里 神坂山

伊那谷と木曾谷とを隔てる木曾山脈の鞍部の一つで、南に恵那えな山、北に神坂山がそびえている。岐阜県との県境をなす標高一五七〇メートルの峠頂上にあって、峠道北の「手向たむけおか」とよばれる微隆地の東にはわずかな平坦地があり、一隅に積石からなる塚が一基築かれている。この平坦地から、昭和二七年(一九五二)には滑石製品を主とする祭祀遺物が発見され、同四四年には本格的な調査がなされ、一千四〇〇点余の遺物を得た。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「神坂峠遺跡」の解説

みさかとうげいせき【神坂峠遺跡】


長野県下伊那(しもいな)郡阿智(あち)村智里にある祭祀遺跡。東西を伊那谷と木曽谷に挟まれた木曽山脈の、恵那(えな)山と神坂山の鞍部、標高1585mの神坂峠は、信濃美濃の国境にあって古くは信濃坂とも呼ばれ、美濃から信濃を経て上野(こうずけ)や下野(しもつけ)にいたる旧東山道の最大の難所だった。1921年(大正10)に鳥居龍蔵須恵器(すえき)の破片を発見したことに始まり、戦後には石製模造品・土師器(はじき)・須恵器などが出土し、さらに1967年(昭和42)からの調査の結果、祭祀関係遺物が1300点余発掘され、径約4m、高さ0.7mの積み石塚遺構も発見された。出土品は勾玉(まがだま)や管玉(くだだま)、棗玉(なつめだま)、臼玉(うすだま)などの石製模造品と碧玉(へきぎょく)製管玉やガラス小玉などの玉類、須恵器、平安時代の緑釉(りょくゆう)陶器などである。出土品から推測すると、古墳時代の中期以降に石製模造品を信仰する峠神の祭祀の場となり、奈良・平安時代以降は東海地方の須恵器や緑釉陶器、灰釉陶器の搬入路となった。全国的にも数少ないこの種の遺跡のなかで、古墳時代から古代中世におよぶ峠神祭祀の実態をうかがえる代表的な遺跡であり、1981年(昭和56)に国の史跡指定された。JR飯田線飯田駅から車で約1時間。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

事典・日本の観光資源 「神坂峠遺跡」の解説

神坂峠遺跡

(長野県下伊那郡阿智村)
信州の史跡百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の神坂峠遺跡の言及

【岐阜[市]】より

…岐阜県南西部にある県庁所在都市。1889年市制。人口40万7134(1995)。中心市街地は濃尾平野北部,長良川の扇状地の扇頂部に位置し,戦国時代斎藤道三が金華山(稲葉山)に城を築き,その城下町から発達した。1567年(永禄10)織田信長が斎藤氏を亡ぼして入城し,それまで井ノ口と称していた町を岐阜と改め,職人,商人を集めて城下町を繁栄させた。織田氏が亡びて城は中山道宿場の加納に移され,江戸時代の岐阜は尾張藩領の町人の町として再出発し,また谷口集落として長良川の舟運による物資の集散地の機能を果たした。…

※「神坂峠遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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