神集島(読み)かしわじま

日本歴史地名大系 「神集島」の解説

神集島
かしわじま

[現在地名]唐津市神集島

みなと村の北東、海上約六〇〇メートルに位置し、周囲約八キロ、標高八二・六メートル。第三紀層の基盤上に玄武岩が噴出・被覆して形成され、台状の形から軍艦ぐんかん島ともよばれる。西海岸は玄武岩礫で埋め尽され、礫により中道がつくられ深い入江が形成されている。

「延喜式」に「肥前国 柏嶋牛牧」があり、神集島に比定する人が多い。また「万葉集」巻一五には「肥前国松浦郡狛嶋亭舶泊之夜、遥望海浪、各慟旅心作歌七首」のうちとして、

<資料は省略されています>

秦田麻呂の歌を載せる。この狛嶋亭こましまのとまりは柏島亭の誤字であり、神集島で詠まれたものとする説が多い。

松浦拾風土記」には、神功皇后朝鮮出兵の時、軍船をこの島に集めて評議し、「皇后評議石」という岩が山頂にあると伝承を記す。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「神集島」の意味・わかりやすい解説

神集島
かしわじま

佐賀県北西部、玄界灘(げんかいなだ)にある島。唐津市(からつし)に属する。唐津湾口西側の相賀(おうか)崎北方海上に浮かぶ。対岸の唐津市湊(みなと)町まで(約2キロメートル)を船が約7分で結ぶ。面積1.41平方キロメートル。玄武岩の台地状の島で、南にやや高く最高点標高90メートル余。水田がわずかにある。北端では砂嘴(さし)が南西方向に発達し、湾奥の集落と漁港を抱く。砂嘴先端に海上安全祈願の住吉(すみよし)神社がある。古来大陸交通要衝の地で、神功皇后(じんぐうこうごう)が戦勝祈願のおり、諸神を集めたという島名由来伝説がある。『延喜式(えんぎしき)』の「肥前国柏嶋牛牧(ひぜんのくにかしわじまのうしまき)」は本島という。島内には7か所の万葉歌碑が立つ。かつてはブリ、マグロの大敷網(おおしきあみ)基地。今日はサバアジ巻網(まきあみ)が主で、ほかにカレイ、エビ、タイ、イカなどの水揚げをもつ。鬼塚古墳群(おにづかこふんぐん)、ハマユウ群落などがあり、また玄海国定公園(げんかいこくていこうえん)の一部。海水浴場やキャンプ場がある。人口490(2009)。

[川崎 茂]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神集島」の意味・わかりやすい解説

神集島
かしわじま

佐賀県北西部,玄界灘にある島。唐津市に属し,湊の浜漁港から 1kmの沖にある。島の名称は神功皇后が三韓遠征のとき,神々を集めて軍議を開き戦勝を祈願したことによると伝えられる。メサ (テーブル) 状の玄武岩台地から成り,軍艦島の称がある。島民は漁業を主とし畑作を兼ねる。かつてはブリの大敷網で知られたが,現在はサバ,アジの巻網漁が中心。 1969年以来,タイの養殖で注目されている。玄海国定公園に属する。唐津市湊から定期船が就航。面積 1.42km2。人口 597 (2000) 。

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デジタル大辞泉プラス 「神集島」の解説

神集島

佐賀県唐津市湊町の北東沖約600メートルに位置する玄海諸島の島。「かしわじま」と読む。面積約1.41平方キロメートル。島内には鬼塚古墳群、とのや原遺跡など石器時代や縄文時代の遺跡が多い。神功皇后が訪れたとの伝説があり、万葉集にも詠われた歴史ある島。

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