禁書目録(読み)きんしょもくろく

改訂新版 世界大百科事典 「禁書目録」の意味・わかりやすい解説

禁書目録 (きんしょもくろく)

かつてカトリック教会で,信仰を純粋に保ち,また信徒の救霊のために,信仰・道徳を危うくするものとして禁止した図書目録をいい,ラテン語の原書ではIndex librorum prohibitorumといった。禁止は,出版閲読保持,販売,翻訳他人への知らせなどに及んでいた。ただ,禁書目録に載ったものだけが禁書というわけではなく,禁書の中の僅少部分だけが禁書目録に掲載されるにすぎず,他の多くの書物が,自然法および旧教会法典(1917)の一般規定(第1399条)によって禁じられていたことを知っておかなければならない。棄教,異端,離教を弁護する棄教者,異端者,離教者の書物および教皇書簡によりとくに禁止された書物の場合には破門されることもあった。1559年に最初の公の禁書目録がパウルス4世によって出されて以来,40回もの改版が出された。

 しかし,1966年6月14日,教理聖省Sacra congregatio pro Doctrina Fideiは,パウルス6世賛同のもとに,禁書目録はもはや,教会法としての効力を有せず,したがって,それに付随していた破門制裁もなくなったと通告した。この通告は,禁書目録の位置づけについて質問した多くの司教たちへの一つの回答として出されたものであるが,禁書目録は,教会法的効力を有しないにせよ,自然法が要求しているとおりに,信仰と道徳を危険にさらす出版物を避けることを,信徒の良心に教えるという範囲で,その道徳的影響力を保っているとつけ加えている。このように,有害な出版物を調べ,予防し,必要に応じてとがめるのは司教たちの権利にして義務であるところから,教理聖省はパウルス6世の裁下のもとに1975年3月7日,書籍監督Censuraに関する教令を出しているので,それを参照にしながら禁書の意味を考えねばならない。いずれにせよ,教会法上,禁書目録がなくなったので,新教会法典はそれにかかわる条文を削除し,全然含んでいない。
禁書
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「禁書目録」の意味・わかりやすい解説

禁書目録
きんしょもくろく
The Index of Forbidden Books 英語
Index Librorum Prohibitorum ラテン語

カトリック信者の信仰と道徳に重大な支障を招くおそれがあると教会当局から判定された禁読図書の目録。普通、インデックスIndexとよばれる。昔から断罪された図書はあったが、1564年のトリエント公会議のとき特別委員会が置かれ、71年今日知られるような整備された禁書目録が作成・公刊された。この禁止は読書だけでなく、著者、出版、販売、翻訳、蔵書にも及び、重大な違反は破門の罰を受けた。しかし、実際には反カトリック図書が全部禁書目録に入っていたわけではない。目録は、禁書の見直しや大幅削減が行われるにつれて、のち新版や改訂版が出された。1948年の時点で、17世紀以来断罪された図書数は4126冊で、そのうち255冊が20世紀に入ってからのものである。断罪の対象はおもに神学的または思想的な著作に向けられ、文学的作品は少なかった。

 禁書目録の弊害が認められた第二バチカン公会議のあと、1966年禁書目録は完全に廃止された。

[越前喜六]

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百科事典マイペディア 「禁書目録」の意味・わかりやすい解説

禁書目録【きんしょもくろく】

ラテン語Index librorum prohibitorumの訳。カトリック教会が信徒の信仰,道徳に支障を招くおそれありと断定した禁止図書の目録。禁止は出版,閲読,保持,販売のみならず,他人に知らせることにまで及び,またこの目録にあげられていたのは禁書の一部でしかなかった。最初のものは1559年パウルス4世により公にされ,1571年《トリエント禁書目録》が公刊されて以来,補充,訂正を重ねて現在に至っているが,1966年教理聖省は,パウルス6世のもと,教会法としての効力をもたないと発表した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「禁書目録」の意味・わかりやすい解説

禁書目録
きんしょもくろく
Index librorum prohibitorum

カトリックの信仰,道徳に有害として教会当局が読書を禁じた書物の目録。禁書の処置は『使徒行伝』 19章 19にみえる焚書以来,異端説断罪として続いていたが,宗教改革期に入って禁書が増加し,1559年異端審問所 (検邪聖省の前身) が初めて禁書目録を公刊し,71年にはインデックス聖省が設置された。以来最新版の 1948年版まで都合 20版と更新されてきたが,第2バチカン公会議の教会刷新の理念にそって行われた検邪聖省の改革ののち,66年6月パウルス (パウロ) 6世によってその拘束性が解除され,ガリレイ裁判などの事件を生んだ禁書目録も過去のものとなった。

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世界大百科事典(旧版)内の禁書目録の言及

【禁書】より

…これが異端の書を焼く先例となり,異端審問裁判所は書籍の所持まで罰したが,印刷術の普及以前は禁書は偶発的なものであった。印刷術の開発は教皇アレクサンデル6世レオ10世の教書等の警告を惹起し,1546年カール5世はルーバン大学に命じて《禁書目録》を作らせた。また49年にはベネチアで枢機卿による《禁書目録》が出ている。…

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