デジタル大辞泉
「福島安正」の意味・読み・例文・類語
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ふくしま‐やすまさ【福島安正】
- 軍人。陸軍大将。長野県出身。明治二五年(一八九二)シベリア事情探査のための単騎横断に成功した。日露戦争では満州軍参謀。嘉永五~大正八年(一八五二‐一九一九)
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福島 安正
フクシマ ヤスマサ
明治期の陸軍大将,男爵
- 生年
- 嘉永5年9月15日(1852年)
- 没年
- 大正8(1919)年2月18日
- 出生地
- 信濃国松本(長野県)
- 学歴〔年〕
- 大学南校中退
- 経歴
- 信濃松本藩士の長男に生まれる。慶応元年(1865年)江戸でオランダ式兵法を学び、維新後、明治2年大学南校に学ぶ。5年司法卿江藤新平の知遇を得てその才気を認められ、6年司法省に入る。同省翻訳官から語学力を買われて7年陸軍省文官となり、西南戦役には征討軍筆記生として従軍、平定後武官に転じ陸軍中将。中国、朝鮮関係の官職を経て、20年歩兵少佐となり、同年ドイツ駐在武官としてベルリンに赴任。25年帰国に際し、単身乗馬で1年2カ月以上もかけてロシア、シベリアを横断、26年帰国。この壮挙に国内は沸き、勲三等受勲。日清戦争では第一軍参謀として出征、大鳥圭介駐韓公使を動かし、対韓強硬論を唱えた。33年の北清事変(義和団事件)には少将・臨時派遣軍司令官として活躍。37年日露戦争では満州軍参謀、39年参謀本部次長、中将、45年関東都督。大正3年大将に進級して退官、予備役編入、以後帝国在郷軍人会副会長。中尉から少将の約30年を情報畑一筋を通し、幾度か欧亜を旅行して10カ国語以上に通じ、軍部第一の地理学者、語学者と称せられ、明治期陸軍きっての情報将校だった。明治40年男爵。著書に「伯林より東京へ単騎遠征」、また島貫重節「福島安正と単騎シベリヤ横断」(全2巻)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
福島安正 (ふくしまやすまさ)
生没年:1852-1919(嘉永5-大正8)
明治期陸軍きっての情報将校。信濃国生れ。司法省翻訳官から語学力を買われて陸軍省文官,次いで武官に転じ,参謀本部勤務と外国派遣をくり返す。1887年ベルリンに駐在武官として赴任,帰国の際,92-93年シベリアを単騎横断して有名となった。義和団事変に際して臨時派遣隊司令官となったほかには軍隊指揮官の経験がなく,1889-1906年の長期にわたり参謀本部第2(情報)部長,この間日露戦争中は満州軍参謀(第2課(情報)課長)として出征した。戦後,参謀次長(1906-12),中将,男爵となり,次いで関東都督,14年大将に進級して予備役,以後帝国在郷軍人会副会長。中尉から少将の約30年を情報将校一筋で通した。
執筆者:大江 志乃夫
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福島安正
没年:大正8.2.18(1919)
生年:嘉永5.9.15(1852.10.27)
明治大正の陸軍軍人。松本藩(長野県)藩士福島安広の長男。維新後,大学南校に入学して英語を習う。明治7(1874)年陸軍省に入り,西南戦争(1877)では山県有朋の伝令使として従軍。明治15年朝鮮に派遣され対韓作戦計画の調査,翌年北京公使館付武官となり,満州(中国東北部)およびモンゴル方面を踏査した。19年にはインド半島を軍事視察。20年には駐独武官となってバルカン半島を視察,帰国の際25年2月から,ロシアのシベリア鉄道建設の状況視察のため1年4カ月かけてベルリンからウラジオストクへと単騎横断を行う。日清戦争(1894~95)の際は第1軍参謀。戦後は再び28年3月から約2年間ヨーロッパ,アジアを探検旅行。帰国後は参謀本部第3,次いで第2部長,日露戦争(1904~05)時は満州軍参謀,39年に参謀本部次長。中将に進み,45年には関東都督となり満州経営に当たった。大正3(1914)年大将。当時の陸軍随一の情報将校。<参考文献>島貫重節『福島安正と単騎シベリア横断』
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福島安正
ふくしまやすまさ
(1852―1919)
明治時代の陸軍軍人。信濃(しなの)国松本藩出身。1869年(明治2)藩命で東京に出、開成校で英語を学ぶ。1871年中退。1874年陸軍省十一等出仕になり、1878年陸軍中尉、1883年大尉、1887年3月にドイツ公使館付武官になる。帰国に際し、1892年2月から翌1893年6月までシベリアを単騎横断し、その壮挙は内外に喧伝(けんでん)される。1900年(明治33)に少将になり、日露戦争には満州軍参謀として出役。1907年男爵になり、1914年(大正3)9月大将に名誉進級。大正8年2月19日没。
[遠藤芳信]
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福島安正
ふくしまやすまさ
[生]嘉永5(1852).9.15. 松本
[没]1919.2.19. 東京
陸軍軍人。シベリア単騎横断で有名。松本藩士福島安広の長男。明治維新後,大学南校に学んだが中退,語学の才を買われて司法省翻訳課に出仕。のちに陸軍省に転じ,在外大公使館付き武官として諸外国に派遣された。参謀本部員 (少佐) として帰朝する際,1892年2月から 93年6月にかけ,軍事視察を兼ねてシベリアを初めて単騎で横断し,世界の注目を集めた。 1901年義和団の乱 (北清事変) には清国臨時派遣隊司令官 (少将) として出征,その後は満州軍参謀,08年参謀本部次長,12年関東都督などを歴任。その間,男爵 (1907) に叙せられた。 14年大将となり予備役。
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福島安正 ふくしま-やすまさ
1852-1919 明治-大正時代の軍人。
嘉永(かえい)5年9月15日生まれ。明治20年ドイツ公使館付武官。25年帰国の際ベルリンからシベリアを騎馬で単独横断。日露戦争では満州軍参謀。のち参謀次長,関東都督。大正3年陸軍大将。大正8年2月18日死去。68歳。信濃(しなの)(長野県)出身。大学南校中退。著作に「伯林(ベルリン)より東京へ単騎遠征」。
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福島安正【ふくしまやすまさ】
陸軍軍人。信濃国松本藩士の子として生まれる。語学力に優れ,情報収集と外交に手腕を発揮した。1887年ドイツ公使館付武官となり,1892年の帰国の際1年を費やしてシベリアを単騎横断。日清・日露戦争の時代を通して参謀本部第2(情報)部長。1906年参謀本部次長,1912年関東都督。1907年には男爵となり,1914年大将。同年の予備役編入後は在郷軍人会副会長。
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福島 安正 (ふくしま やすまさ)
生年月日:1852年9月15日
明治時代の陸軍軍人。大将;男爵
1919年没
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