福泉寺(読み)ふくせんじ

日本歴史地名大系 「福泉寺」の解説

福泉寺
ふくせんじ

[現在地名]大洋村大蔵

大蔵おおくらの中央、ふだの東に続く大谷津の東端底地にあり、三方山林に囲まれ、通称をあな寺という。臨済宗妙心寺派、大蔵山と号し、本尊釈迦如来。寺伝によれば、府中(現石岡市)の大掾高幹の次男忠幹が国家鎮護のため寺田を付して建立という。開山は恵光。のち荒廃し正中二年(一三二五)北条高時により再興されたが、北条氏滅亡に伴い寺領を失い漸次衰微した。室町初期、寺の保護者として中居氏の影響が強まり、康暦二年(一三八〇)銘の福泉寺鐘銘に「当寺大檀那掃部助平朝臣幹儀」とみえる。

福泉寺
ふくせんじ

[現在地名]有明町大字田野上

杵島山の東南面、中腹にある。飯盛山と号し、本尊は薬師如来。初め真言密教の寺院として開山されたが、のち聖一国師の高弟銕牛禅師が再興し、臨済宗となる。

「肥陽社跡集」(肥前国誌)によれば、次のような伝説がある。本堂裏で赤ん坊泣声がするので寺僧が行ってみると雌鹿が赤ん坊に乳を飲ませていた。

福泉寺
ふくせんじ

[現在地名]吉良町上横須賀 八王子

法雲山来迎院と号す。浄土宗西山深草派。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、上総の人山崎彦次郎が岡山の花岳おかやまのかがく寺に牢人として死去。その子宮内左衛門尉浄祐は父彦次郎のため天文二〇年(一五五一)福泉寺を建立して所有田一千石を寄進、来迎図一幅を納め、父の位牌を安置して供養した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報