福田赳夫内閣(読み)ふくだたけおないかく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「福田赳夫内閣」の意味・わかりやすい解説

福田赳夫内閣
ふくだたけおないかく

(1976.12.24~1978.12.7 昭和51~53)
1976年12月の総選挙敗北の責任をとって退陣した三木武夫(みきたけお)内閣にかわって成立。ロッキード事件、三木おろしなどでぐらついた保守支配を保守本流体制の再構築によって立て直し、経済的にはオイル・ショック後の構造的不況克服課題とした。外交面では懸案であった日韓大陸棚協定批准、日中平和友好条約調印を果たしたほか、二度にわたる訪米、サミット(先進国首脳会議)への出席、中東ASEAN(アセアン)諸国歴訪など一定成果をあげたが、景気回復には失敗した。また元号法制化への取り組みや有事立法などにみられたタカ派的姿勢は国民の反発を招いた。福田赳夫は1978年11月の自民党総裁選予備選挙で予想に反し大平正芳(おおひらまさよし)に大差で敗れ本選挙を辞退、12月内閣は総辞職した。

伊藤 悟]

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百科事典マイペディア 「福田赳夫内閣」の意味・わかりやすい解説

福田赳夫内閣【ふくだたけおないかく】

1976年12月24日〜1978年12月7日。自由民主党単独内閣。不況下に〈経済の福田〉を自任して発足したが,景気回復は難航。また1977年秋ごろからの異常な円高や日本の国際収支の大幅な黒字に対し海外から非難を浴びた。1978年8月,北京で日中平和友好条約に調印。内政面では,有事立法の研究・促進や元号法制化を指示するなど,右傾斜を強めた。自民党総裁選挙に敗れて退陣。→福田赳夫
→関連項目大平正芳内閣国民栄誉賞

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「福田赳夫内閣」の解説

福田赳夫内閣
ふくだたけおないかく

自民党の福田赳夫を首班とする内閣(1976.12.24~78.12.7)。佐藤長期政権後の自民党内は,派閥対立のため力強い指導力がうまれなかった。この内閣も例外ではなく,地味な首相の人柄のせいか,世論の内閣支持率も低かった。内政面では,石油危機後の不況対策や貿易摩擦の対応などに苦心したが,外交面では福田ドクトリンとよばれる東南アジア政策三原則を打ち出し,日中平和友好条約を締結した。また海洋二法(領海法と200カイリ漁業水域法)を制定し,新海洋法時代への適応にも苦心した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「福田赳夫内閣」の解説

福田赳夫内閣
ふくだたけおないかく

福田赳夫(1905〜95)を首班とする自由民主党内閣(1976.12〜78.12)
外交では日本の国際収支の大幅な黒字に対する貿易摩擦に苦心したが,1978年に日中平和友好条約に調印し,ASEAN(アセアン。東南アジア諸国連合)諸国歴訪など一定の成果をあげた。内政では,石油危機後の構造的不況の克服を課題としたが,景気回復は難航した。

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