秋葉信仰(読み)あきばしんこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「秋葉信仰」の意味・わかりやすい解説

秋葉信仰
あきばしんこう

秋葉神社祭神にかかわる信仰。根本社は静岡県浜松市天竜区春野(はるの)町の秋葉(あきは)山頂に鎮座。剣難、水難、火難に霊験(れいげん)あらたかであると『東海道名所図会』に記されている。とくに火難(火伏せ防火)信仰は愛宕(あたご)神社と並んで有名。秋葉山は神仏習合に伴い修験(しゅげん)の霊場となったが、修験者の三尺坊(さんじゃくぼう)は、観音の化身火伏せの法に通じた天狗(てんぐ)といわれ、越後(えちご)国(新潟県)から飛来して秋葉山の鎮守となり、三尺坊大権現(だいごんげん)と称して、大登山秋葉寺に祀(まつ)られたという。1685年(貞享2)には三尺坊大権現を祀ることが流行し、順次各地に送り祀られていったが、江戸に入る前に幕府から禁圧された。この信仰は中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成するなど庶民と深く結び付いた。明治初期の神仏分離令で、秋葉神社と改称、独立し、秋葉寺は廃寺となったため三尺坊の像などを可睡斎(かすいさい)(静岡県袋井(ふくろい)市の寺)に移したが、現在も根強く信仰されている。とくに江戸時代伊勢(いせ)参宮の途次に参詣(さんけい)されることが多かった。

[野上尊博]


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改訂新版 世界大百科事典 「秋葉信仰」の意味・わかりやすい解説

秋葉信仰 (あきばしんこう)

秋葉信仰は火難・水難よけ,とくに火難よけ(火伏せ)の信仰として全国的に分布しているが,とくに関東・中部地方に濃厚である。この信仰の中心は遠州秋葉山で,各地の秋葉山はここから分祀したものといえる。また関東・中部地方では秋葉講中あるいは代参・月参講中が結成され,秋葉山への参詣が盛んである。秋葉山では秋葉神社・秋葉寺(三尺坊権現)ともに12月15,16日に火祭を行っている。秋葉神社では火之迦具土神をまつり,16日の大祭には弓・剣・火の舞が行われる。一方秋葉寺でも護摩がたかれ火渡りを行うほか,種々の天狗に対する七十五膳献供式がなされる。秋葉三尺坊と通称される存在は天狗とみなされ,秋葉信仰の火防神としての性格と密接に結びついている。秋葉信仰の各地への普及には,秋葉修験の布教も無視することができないものの,江戸時代中ごろ,火災に悩まされる江戸市中に急速に広まっているように,流行神(はやりがみ)的性格を持って広まったものと考えられ,1685年(貞享2)には幕府からも村々において秋葉権現を次々に送り渡すことが禁止されている。
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百科事典マイペディア 「秋葉信仰」の意味・わかりやすい解説

秋葉信仰【あきばしんこう】

静岡県周智(しゅうち)郡春野町(現・浜松市)の秋葉神社に発した信仰。同社は迦具土神(かぐつちのかみ)(火の神)をまつるので,民間では火伏(ひぶせ)の神として信仰され,関東・中部地方を中心に各地に分布。岐阜市付近では屋根神様といって屋上にまつっているものが多い。
→関連項目秋葉山火の神

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世界大百科事典(旧版)内の秋葉信仰の言及

【遠江国】より

… 宗教的には,中世に引き続き曹洞宗の勢力が大きく,とくに可睡斎(かすいさい)は1583年(天正11)に家康より三遠駿豆4ヵ国の曹洞宗僧録司を命ぜられ,近世に入って大僧録としての地位を確立した。秋葉山頂近くにある秋葉寺の三尺坊は鎮火・防火の神として崇敬を集め,とくに近世以降遠江を中心とする東海道筋に秋葉信仰が広まった。各地に秋葉講が結成され,秋葉供養塔,常夜灯も建てられた。…

※「秋葉信仰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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