可睡斎(読み)カスイサイ

デジタル大辞泉 「可睡斎」の意味・読み・例文・類語

かすい‐さい【可睡斎】

静岡県袋井市久能にある曹洞宗の寺。山号万松山開創は応永14年(1407)、開基恕仲天誾じょちゅうてんぎん大路一遵たいじいっそんにより中興寺号を東陽軒とし、のち可睡斎と改めた。徳川家康帰依を受け、駿河遠江三河伊豆4か国の大僧録司が置かれた。三尺坊大権現は、火防霊仏

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精選版 日本国語大辞典 「可睡斎」の意味・読み・例文・類語

かすい‐さい【可睡斎】

  1. 静岡県袋井市久能にある曹洞宗の寺。山号は万松山。応永一四年(一四〇七如仲天誾(てんぎん)が開き、東陽軒と号した。徳川家康の帰依を得て現名に改称。明治維新後、秋葉山威徳大権現を移した。火災除けに功徳のある寺として信仰される。秋葉総本山。

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日本歴史地名大系 「可睡斎」の解説

可睡斎
かすいさい

[現在地名]袋井市久能

宇刈うがり川中流左岸、宇刈丘陵南西端に所在する曹洞宗寺院。山号は万松山、本尊は聖観音。永正年間(一五〇四―二一)大路一遵が開創し、師の大年祥椿を開山とし自らは二世住職となったという(「可睡斎由来略記」可睡斎文書)。一遵は大洞だいとう(現森町)二世如仲天五世の法孫で、一雲斎いちうんさい(現豊岡村)四世大年祥椿から嗣法し、永正一五年四月六日一二〇歳で死去したという(日本洞上聯灯録)。元亀三年(一五七二)一〇月二八日の武田家禁制(可睡斎文書)によれば、武田家は「可睡斎」寺中おける当手甲乙軍勢等の濫妨狼藉を禁じている。天正九年(一五八一)三月七日の竜沢寺再建勧化帳写(竜沢寺文書)によれば、当寺は越前竜沢りゆうたく(現福井県金津町)に五〇疋を寄進し、当寺の前住職鳳山等膳が隠居していた積雲せきうん院は二貫文を寄進している。同一一年一一月二八日、徳川家康は三河・遠江・駿河・伊豆四ヵ国の僧録に可睡斎等膳を任命している(「徳川家康判物写」可睡斎文書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「可睡斎」の意味・わかりやすい解説

可睡斎
かすいさい

静岡県袋井(ふくろい)市久能(くのう)にある曹洞(そうとう)宗の寺。萬松山(ばんしょうざん)と号し、秋葉総本殿とも称される。応永(おうえい)年間(1394~1428)に恕仲天誾(じょちゅうてんぎん)がここに草庵(そうあん)を結んだのが始まりで、一時荒廃したが、5世の法祖大路一遵(たいろいちじゅん)が毘沙門天(びしゃもんてん)の霊夢に感じて再建し、東陽軒と称した。11世の仙麟等膳(せんりんとうぜん)は、今川家の人質となっていた幼少の徳川家康を助けたことにより、のちに浜松城主となった家康の厚遇を受け、東海の大僧録司(そうろくす)として駿河(するが)、遠江(とおとうみ)、三河、伊豆4か国の諸寺を取り締まる名刹(めいさつ)となった。可睡斎という寺号は、仙麟等膳が浜松に家康を訪れたとき、疲れと老齢のために居眠ったのを見て、家康が「和尚(おしょう)睡(ねむ)る可(べ)し」といたわったことによるといわれる。境内後方にある秋葉総本殿は、もと秋葉寺(静岡県浜松市)にあった三尺坊威徳大権現(だいごんげん)を移したもので、俗に秋葉三尺坊、三尺坊大権現といわれ、火防(ひぶせ)の霊仏として名高い。12月15日に火防大祭が行われる。境内は広く、本堂、僧堂(禅堂)、方丈など多くの伽藍(がらん)を有し、ボタン、サギソウなど花の名所としても知られる。

[菅沼 晃]


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改訂新版 世界大百科事典 「可睡斎」の意味・わかりやすい解説

可睡斎 (かすいさい)

静岡県袋井市にある曹洞宗の寺。山号は万松山。応永年中(1394-1428)に如仲天誾(じよちゆうてんぎん)が久野城のそばに大通庵という草庵を営んだことにはじまるとされる。その後,久野氏の援助を受けたという。永正年中(1504-21)に5世の太路一遵が再興し,可睡斎と改称した。なお,改称前は東陽軒と称したともいわれる。徳川家康と関係深い仙鱗等膳が住持となると隆盛となり,1612年(慶長17)幕府より駿河,遠江,三河,伊豆の4ヵ国の曹洞宗寺院の統轄を命じられ,東海の大僧録として君臨した。江戸時代,火防神の秋葉山三尺坊を管理したが,1873年神仏分離により,境内にまつり,現在も広い信仰を集めている。
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百科事典マイペディア 「可睡斎」の意味・わかりやすい解説

可睡斎【かすいさい】

静岡県袋井市にある曹洞宗の寺。本尊聖観世音。山号は万松山。応永期(1394年―1428年)の創立という。江戸時代には東海の大僧録であった。秋葉山三尺坊大権現を移した威徳大権現の本堂があり,火伏の神として信仰されている。12月15,16日の火祭は有名。ボタンの名所。
→関連項目袋井[市]

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世界大百科事典(旧版)内の可睡斎の言及

【遠江国】より

…また掛川の葛布,森町の古着,御前崎方面の甘藷や切干しなども有名である。 宗教的には,中世に引き続き曹洞宗の勢力が大きく,とくに可睡斎(かすいさい)は1583年(天正11)に家康より三遠駿豆4ヵ国の曹洞宗僧録司を命ぜられ,近世に入って大僧録としての地位を確立した。秋葉山頂近くにある秋葉寺の三尺坊は鎮火・防火の神として崇敬を集め,とくに近世以降遠江を中心とする東海道筋に秋葉信仰が広まった。…

※「可睡斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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