七里ヶ浜(読み)シチリガハマ

デジタル大辞泉 「七里ヶ浜」の意味・読み・例文・類語

しちり‐が‐はま【七里ヶ浜】

神奈川県鎌倉市西部の、稲村ヶ崎腰越小動ヶ崎こゆるぎがさきとの間の海岸

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日本歴史地名大系 「七里ヶ浜」の解説

七里ヶ浜
しちりがはま

七里浦・七里灘とも書き、「しちりばま」(鎌倉志)ともよませた。稲村いなむらヶ崎から小動こゆるぎ崎までの海浜約二九〇〇メートルをいう。地名の由来について「鎌倉志」や「風土記稿」は、その道程が六町を一里とする関東道の距離で七里あるからといい、天保六年(一八三五)松雨らの紀行文「四親草」には「此浜にかきりて六町一里也、唐数なればもろこしか原といふ成へし」とあり、中国風の数え方だという。また「金兼藁」は「海浜之間二十余町余、俗伝、凌此二十町之沙磧者、其労疲、相同于行平路七里難故名之云」と伝え、二〇余町の海浜を歩くのは、平地の七里を歩くのと同じくらい難儀するので名付けられたと記しているが、七里には本来「長い道のり」という意味があるので、千葉県九十九里くじゆうくり浜などと同じように、延々と続く砂浜異称であるかもしれない。

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改訂新版 世界大百科事典 「七里ヶ浜」の意味・わかりやすい解説

七里ヶ浜 (しちりがはま)

神奈川県鎌倉市南西部の砂浜海岸相模湾に臨み,新田義貞の鎌倉攻めで名高い稲村ヶ崎から,西は小動(こゆるぎ)岬に至る。実長は2.9kmほどであるが,6町を1里とした関東道の距離の数え方から,その名があるといわれる。江の島富士山三浦半島伊豆大島一望する景勝地で,海岸沿いに藤沢~鎌倉間を結ぶ江ノ島電鉄が通じ,湘南道路(1975年無料開放)と呼ばれる国道134号線がそれに沿って走る。別荘や療養所が早くから開設されたが,近年背後の丘陵地の開発が進み,宅地化が著しい。海岸は波が荒く,海水浴には適さないが,サーフィンを楽しむ若者でにぎわう。稲村ヶ崎公園には〈真白き富士の嶺……〉の歌で知られる逗子開成中学生徒遭難の碑が建てられている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「七里ヶ浜」の意味・わかりやすい解説

七里ヶ浜
しちりがはま

神奈川県鎌倉市(かまくらし)の南西部、相模(さがみ)湾に面した海岸。稲村ヶ崎(いなむらがさき)から西へ腰越(こしごえ)の小動崎(こゆるぎがさき)に至る約4キロメートルの平坦(へいたん)な海浜。6町を1里としたときのほぼ7里にあたるので、この名がある。江ノ島電鉄線と国道134号(湘南(しょうなん)道路)が通じる。近くに江の島、遠くに富士、箱根、伊豆、大島、三浦半島を一望に収め、景勝地をなしている。稲村ヶ崎に近い浜辺に「真白き富士の嶺(ね)、緑の江の島……」の哀悼歌で知られる逗子開成中学生の慰霊歌碑(ずしかいせいちゅうがくせいのいれいかひ)(12少年――1910年突風で遭難)とその上に兄弟のブロンズ像が浜に向かって立っている。海は波が荒いので遊泳禁止だが、サーフィンで人気がある。

[浅香幸雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「七里ヶ浜」の意味・わかりやすい解説

七里ヶ浜
しちりがはま

神奈川県南東部,鎌倉市の相模湾に面する海岸。稲村ヶ崎から小動 (こゆるぎ) 崎までの約 3kmをいう。丘陵が迫って狭長な砂浜を形成。地名は6町を1里とした数え方で7里あることに由来するといわれる。西方には江の島を控えて富士山,南方には大島を望む景勝地。保養地,療養地として知られた。鎌倉の海としては波が高く,サーフィンが楽しめる。付近の丘陵地は宅地開発が盛ん。海岸沿いに国道 134号線が通じている。

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事典・日本の観光資源 「七里ヶ浜」の解説

七里ヶ浜

(神奈川県鎌倉市)
日本の渚・百選」指定の観光名所。

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