稲の生育を助け、豊穣(ほうじょう)をもたらしてくれる神の総称。古くから水稲耕作の行われたわが国では、豊作を祈願し、収穫を感謝して田の神を祀(まつ)ってきた。古典に現れる倉稲魂(うかのみたま)や保食神(うけもちのかみ)はその一種と考えられ、また、古代以来、宮廷の神事として行われてきた祈年祭や新嘗祭(にいなめさい)は、田の神祭りと密接にかかわるものである。現在、民間での田の神の名称は各地各様で、田の神とよぶほか、作神(さくがみ)、農神(のうがみ)、作り神とよばれたり、他の信仰と習合して、亥(い)の神、えびす、大黒(だいこく)、稲荷(いなり)、地神(じがみ)、かまど神、荒神(こうじん)、お社日(しゃにち)さま、お丑(うし)さまなどを田の神と認めている所もある。
その祭りには、稲作の実作業に応じてそのつど行われるものと、毎年一定の月日を決めて営まれるものとがある。前者としては、農耕儀礼の多くがこれに相当する。種籾(たねもみ)を播(ま)いたあと、苗代(なわしろ)田の一部にカヤ・ヤナギなどの自然木を立てて田の神の依代(よりしろ)とし、これに焼き米などを供えて祀ったり、田植開始時や田植終了時に、田の水口(みなくち)や屋内の一定場所(荒神棚や神棚など)に苗三把を据え、餅(もち)・神酒(みき)などを供えて祀る例が多い。とくに中国地方山地で最近まで広く行われていた大田植は、田植が田の神を迎えて行う重要な神事であったことをうかがわせるものである。また収穫の際には、初めに数束の稲を刈り取って田の一隅に掛けたり家に持ち帰って祀ってから稲刈りにとりかかる穂掛けの儀礼があり、続いて収穫後には刈上げの祭りをするが、祭祀(さいし)対象はいずれも田の神である。これらの農耕儀礼の背景には稲霊(いなだま)の再生・成長の観念がうかがえ、各儀礼は密接に関連しあっている。祭場には定まった田があてられることが多く、屋外での祭祀は古風を伝えるものと考えられる。
一方、暦日に組み込まれて毎年一定の祭日をもつものには、東日本の3月と10月の16日、2月と10月の10日、西日本の2月と10月の亥の日の田の神祭りや、奥能登(のと)のアエノコト(1月9日と11月5日)、九州北西部の丑の日祭り(2月と11月の丑の日)などがある。春秋の社日の所もあり、正月を挟んで期日が対称的に存在するのが特徴で、宮中の祈年祭や新嘗祭との関連をうかがわせる。これらには、神が春に山から降りてきて田の神として稲作を守り、秋の収穫後には田からあがって山の神になるという神去来(かみきょらい)の伝承を伴うものが多い(家と田との去来を説くものもある)。
また、正月には種籾俵やかますを祭壇にする所が各地にあり、正月も田の神祭祀の重要な機会で、年神と田の神との結合がみられる。このように、田の神には稲作を守り育てる守護神としてのほかに、穀霊的性格も認められ、各地の田の神祭りにはこの二つの面が表れている。また、祖霊的性格をみることも可能であり、さらには耳や目の不自由な神とする伝承もまつわりついており、田の神の性格やその祭祀には、なかなか複雑なものがある。
また南九州(薩摩(さつま)、大隅(おおすみ)、日向(ひゅうが)南部)では、杓子(しゃくし)やすりこ木を持った田の神(タノカンサア)の石像を田のほとりや小道などに祀ることで知られる。なかには後ろ姿を陽物に模したものがある。
[田中宣一]
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稲作の豊穣をもたらす農神。水稲農耕を主とする日本では民族信仰として農神をまつる習俗は古くからあり,記紀には稲霊(いなだま)の〈倉稲魂(うかのみたま)〉や穀神の大歳神(おおとしのかみ)の名がある。民間では,この農神は一般に田の神というが,東北地方では農神(のうがみ),山梨・長野で作神(さくがみ),近畿で作り神,山陰東部で亥の神(いのかみ)などとも呼ばれる。東日本ではえびす,西日本では大黒を田の神と考える地方が多く,漁業神・福徳神とは別の信仰となっている。田の神が春は山から降りて田の神となり,秋には山へ戻って山の神となると伝えるところが各地に存在する。祭日も農耕の段階に応じて春秋に分布し,とくに田植時に盛んにまつられ,秋は稲の刈上げにまつられる。〈さなぶり〉〈さのぼり〉〈さおり〉〈さんばい降(おろ)し〉などは前者の例であり,西日本から太平洋沿岸を千葉,茨城,埼玉の一部にわたって分布する亥子(いのこ)や関東北西部から甲信越地方に分布する十日夜(とおかんや)は後者の代表的なものである。田の神の石像が南九州に限って分布するのが注目される。
田の神去来信仰の分布と並行し,田の神が家を媒介にして去来する伝承も多い。これには,田から家へ帰る,家から田へ出て行く,山から家へ降りてくる,家から山へ帰る,家と田とを去来する,これらの伝承を欠く,去来せず留守神となる,という7種の型がある。奥能登に伝わるアエノコトは秋の収穫後に田から家へ田の神を迎え饗応する行事で,かつては正月に家から田に送る行事もあった。前者はもとは11月5日,今は12月5日に行い,後者はもとは1月9日,今は2月9日に行われてきた。この神は盲目で男女2神と伝えられ,いちいち言葉をかけて饗応する。神が家と田を去来する形態は西日本にも多い。
執筆者:大島 暁雄
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…日本の水稲栽培は,春から秋にかけて行われる。春には播種が,春と夏の境の梅雨の季節に田植が,秋には収穫が行われるが,その周期は,田の神と呼ばれる稲田の守護神が去来する周期と重なっている。民間信仰によると,田の神は春の播種のころになると,天または山,家からたんぼに出かけ,そこに滞在してイネの生長を見守り,秋の収穫が終わると,たんぼから天または山,家に帰る。…
…関東地方では10月10日の十日夜(とおかんや)がこれにあたる。正月11日の仕事始や旧暦2月亥日などに田へ出た田の神が1年間の仕事を終えて帰るといい,家では新米の餅12個を枡に入れ米蔵の俵へ供えてまつる(但馬,佐渡)。このとき子どもたちが各家々をまわり,石やわらづとで地面をたたく亥子突きをしたりして,亥子餅やお金などをもらう。…
…田の神の異称。中国,四国地方や佐渡島で主に使われ,オサバイ,サンボウなどともいう。…
…山に昇った荒魂(あらみたま)は時の経過とともに清められた祖霊となり,やがてカミの地位にまで上昇していく。そしてそれらのカミは,里に降りてくるときは田の神や歳の神としてあがめられ,またいつしか氏神や鎮守の神としても祭られるようになった。一方,日本の山は神霊の降臨する聖域でもあり,《万葉集》で山部赤人がうたっているように,高く貴く神さびた山(富士山)として尊ばれたのであって,決して単なる自然的な景観や物体などではなかった。…
…キリスト教徒の間でも,職業集団によって特定の守護聖人を崇敬することがあるが,日本ではことに,生業によりさまざまな神がまつられてきた。 農民のあいだでは,稲作を守護してくれる神として田の神をまつる。田の神は地域によって作神,農神,百姓神,地神,亥の神などと呼ばれそのまつり方もちがうが,一般に田の神といえばある定まった田を祭場に,石や木をもってまつる形が多い。…
…水神の実態は複雑多様であるが,もっとも典型的なのは農耕社会における水田稲作民にとっての守護神である。水神は豊穣をもたらす神であり,田の神と同一視されている。一般には,水田の用水堰か水田のほとりの石祠に祭られている。…
…この氏神は村を守護する産土神(うぶすながみ)の性格をもつにいたったが,これにたいして個々の先祖は,同時に農神や稲霊の姿をとって農作業の節目ごとに家々を訪れるものと考えられた。すなわち正月に訪れるとされた歳徳神(としとくじん)や年神(としがみ),正月さまや田の神などがそれである。このうち田の神は田植の季節の春には山から里や田に下り,稲の収穫後の冬になると山に入って山の神となるという。…
… 年神のトシは米を意味しており,さらに年神を老人の姿とする所が多く,先祖の霊とも考えられている。大分県国東半島では,5月に苗代田に種もみをまく際,水口に小さな石をすえ,これを田の神さまに見たて,御神体の石にミキンといって半紙をかぶせ,焼米を供えてまつる。このミキンの紙は,正月に年神さまに供えた年玉の餅の下敷きの紙をたいせつにしまっておいて,このときに用いるしきたりの土地が多い。…
…神霊に捧げる供物という意味である。刈ったばかりの稲穂のついたままの束を積み上げた場所は,そのまま田の神をまつる祭場と考えられていたという説もある。稲積の名称や形状は,各地で少しずつ異なっており,ニオのほかニゴ,ミゴ,ニュウ,ニョー,ツブラ,グロ,スズミ,ススキ,ホヅミ,イナムラ,イナコヅミなどと呼ばれ,頂にワラトベ,トツワラ,トビなどと呼ぶわら製の笠形の飾りや屋根をのせるのが特徴である。…
… 山の神信仰は山に活動する人々の領域によって異なり,実に多様な形を伝えている。里山を舞台とする者は同時に水田稲作農耕にも従事しているので,春になると山の神が田に降りてきて田の神となり,秋には山へ帰って山の神になるという去来信仰を特徴としており,東日本にかたよりながらほぼ全国的に分布している。この信仰の成立は,人の死後その霊魂が山におもむくという山中他界観が基礎になっている。…
※「田の神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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