穴太寺(読み)あなおじ

日本歴史地名大系 「穴太寺」の解説

穴太寺
あなおじ

[現在地名]亀岡市曾我部町穴太

穴太の南端にあり、門前は西条にしじよう民家が並ぶ。菩提山と号し、天台宗本尊薬師如来聖観音の二仏。西国三十三所観音霊場の二一番札所。

縁起によれば慶雲二年(七〇五)大伴古麿の開基とする。寺名は古くは「穴穂寺」とも記され、菩提ぼだい寺とも称した。

当寺が平安時代から知られていたことは、「今昔物語集」「扶桑略記」あるいは「元亨釈書」などにみえる身代り観音の仏教説話でうかがえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「穴太寺」の意味・わかりやすい解説

穴太寺
あのうでら

京都府亀岡(かめおか)市曽我部(そかべ)町穴太(あなお)にある菩提(ぼだい)寺の通称。穴穂寺とも書く。天台宗に属す。705年(慶雲2)左大弁大伴古麻呂(おおとものこまろ)の開創と伝える。古麻呂はのちに遣唐副使として、鑑真(がんじん)一行を自分の船に乗せ、来日させた人物である。本尊薬師如来(やくしにょらい)は疫病退散に霊験(れいげん)があるといい、また聖観音(しょうかんのん)(国の重要文化財)は962年に曽我部(そがべ)(または宇治)宮成が、妻の勧めにより、仏師感世を都から招き、刻ませたと伝える。縁起によると、宮成は感世に秘蔵の名馬を褒美(ほうび)に与えたが、惜しくなり大江山で待ち伏せして射殺し、馬を取り戻して帰ってみると、矢は観音の胸に刺さっており、感世は無事帰京していたので、宮成は『法華経(ほけきょう)』、観音菩薩(ぼさつ)の威力に感じ、信仰を得たという。西国(さいごく)三十三所第21番札所。

[田村晃祐]

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デジタル大辞泉プラス 「穴太寺」の解説

穴太寺

京都府亀岡市にある天台宗の寺院。「あのうじ」「あなおじ」「あなおうじ」などと読む。古くは「穴穂寺」とも表記山号は菩提山、本尊は薬師如来、聖観音菩薩。縁起では慶雲年間の開基とする。西国三十三所観音霊場第21番札所。

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