百科事典マイペディア 「穴太荘」の意味・わかりやすい解説
穴太荘【あのうのしょう】
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近江国滋賀郡の荘園(現,滋賀県大津市坂本穴太町のあたり)。1062年(康平5)の史料に穴太薗としてみえるのが初見。当初から摂関家領であったらしい。1253年(建長5)の近衛家所領目録によれば,近衛家自身が荘園支配の実際的な諸権限(荘務権)を握っていた。またその預所(あずかりしよ)は摂関家の随身下毛野氏で,同氏は代々近衛家を本所にあおぎながら,永らく荘を相伝知行した。一方,1206年(建永元)の慈円起請文では,桜下(本)門跡荘園の一つとして穴太薗が聖覚僧都から慈円に譲られており,同所が山門関係の所領の一つであったことがわかる。近衛家領穴太荘との関係は明らかでない。穴太に居住する散所は石工集団(穴生)として名高く,1368年(応安元/正平23)の蜂起,神輿の入洛にあたり,延暦寺より穴太散所法師らに西坂の路次の整備が下命されている。戦国時代を経て織豊期には,穴太は豊臣秀吉の直轄領となった。
→穴生(あのう)
執筆者:高橋 昌明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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