江戸時代に蘭学者によって西洋の自然科学,具体的にはオランダ語のNatuurkundeの訳語として用いられた言葉で,後に明治初年にいたって物理学を意味するようになった。〈窮理〉とは,もともと易の説卦伝に由来し,朱子によって学者の修養法として強調されたもので,事物についてその理を窮めるという方法を指した。蘭学者たちはみずからの学問を権威づけるために,当時の正統儒教であった朱子学から〈窮理〉なる語を借用したのである。西洋近代科学には論証的な自然哲学的側面と叙述的な自然史(博物学)的側面がある。前者は東洋の伝統には欠けるものであったが,あえて近いといえば易や朱子学の伝統なので,窮理の語があてられたのである。しかし,朱子学の理は近代科学的理論とは異なる道徳的なものであった。なお維新期には,福沢諭吉の《訓蒙(きんもう)窮理図解》(1868)がひろく読まれ,明治初年の文明開化,欧化政策に乗って窮理熱なるブームを引き起こした。
執筆者:中山 茂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸時代から明治初期にかけて使用された学問名称で、物理学の意にも哲学の意にも用いられた。『易経(えききょう)』説卦(せっか)伝に「理を窮(きわ)め性を尽(つく)す」とみえ、朱子学においてはその本質を表す概念として用いられ、「格物致知(かくぶつちち)」「格物窮理」の語が使用された。江戸中期の蘭学勃興(らんがくぼっこう)以降、事物についてその理を窮めるという考えが自然探究の意に用いられるようになり、三浦梅園(ばいえん)は「西洋ノ学畢竟(ひっきょう)窮理ノ学ナリ」と紹介し、本木良永(もときりょうえい)は彼の天文書のなかで「太陽窮理」といい、前野良沢(りょうたく)はオランダ語のナチュールキュンデnatuurkundeを「窮理本然之学」と訳した。明治になると福沢諭吉の『訓蒙(きんもう)窮理図解』(1868)をはじめ窮理の名を冠した科学・技術関係の啓蒙(けいもう)書が多数刊行された。大学南校では1877年(明治10)まで、今日の物理学に窮理学の名称を使用した。またフィロソフィーphilosophyを「哲学」と試訳していたころ、西周(にしあまね)は「理学」「窮理学」の語を哲学と同意の訳語として使用した。
[片桐一男]
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…〈物理〉がphysicsの訳語として定着したのは明治以後であるが,漢語として〈物の道理〉を示す意味で用いられたのは古い。現在の物理学に近い概念を表すことばとしては,幕末〈窮理学〉〈格物学〉〈理科〉〈理学〉などがあり,1863年(文久3)洋書調所が開成所に改組されるに当たっての学科名としては窮理が採用され,その後理学に変わり,また65年(慶応1)長崎の分析究理所の科目名に物理の名がみえる。明治政府の学制の整備に伴って,72年(明治5)小学校の教科書に文部省は片山淳吉の《理学啓蒙》を採用し,直ちに《物理啓蒙》と改名,77年文部省が翻訳編集した《百科全書》中の1巻に〈物理学〉があり,81年井上哲次郎の《哲学字彙(じい)》という洋和対照辞典ではphysicsに物理学が当てられているから,ほぼこのころから訳語として定着し始めたとみてよい。…
※「窮理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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