日本歴史地名大系 「立川村」の解説
立川村
たちかわむら
法美郡北西端に位置する。鳥取城下立川三丁目南方にあり、南は
近世中期には田畑の屋敷化と建屋が増加し、享保八年町裏けんか谷の地が田屋敷となり、同一六年往還土橋、山際の天神辺りでの屋敷建設願が許可された。
立川村
たつがわむら
立川村
たつかわむら
寛永備前国絵図では高一千六一石余。貞享元年(一六八四)の赤坂郡高目録(池田家文庫)によると慶長九年検地があり、高一千一九一石余。延宝五年(一六七七)に古川下新田一一九石余が開発され、貞享元年の二口高一千三一二石余、荒などを引いた残高一千一三九石余。「備前記」は枝村
立川村
たちかわむら
立川村
たちかわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報