矢津村(読み)やづむら

日本歴史地名大系 「矢津村」の解説

矢津村
やづむら

[現在地名]鳥取市立川町たちかわちよう四―七丁目・卯垣ぼうがき二―三丁目

立川村の南、ふくろ川と天神川の間にあり、南は大杙おおくい村。文政年間(一八一八―三〇)の法美郡全図(県立図書館蔵)では、集落は天神川を隔てて立川村の集落と連なる。鳥取城下拡張により小禄の侍屋敷が多く、農家は少ない(鳥府志)。かつて袋川が岩倉いわくら村の山麓を流れていた頃にあった矢津大橋の名が残る。同川には三枚さんまい橋が架けられ、その両側は旧河道であったため土地が低い(因幡志)。天保一二年(一八四一)領内限り稲吉いなよし村と改称することを許された(在方諸事控)。旧高旧領取調帳では稲吉村とある。

元和四年(一六一八)「法美郡矢津村」のうち二〇〇石が、池田幸隆(光政)から当時鳥取城下にあった菩提寺国清こくせい(現岡山市)に寄進された(「池田幸隆寄進状」国清寺文書)。藩政期の拝領高四八五石余、本免五ツ三分。藪役銀一匁二分六厘・宇倍野山役米二斗余を課され(藩史)、南部氏・野間氏・蒔田氏箕浦氏・平井氏の給地があった(給人所付帳)


矢津村
やづむら

[現在地名]岡山市矢津

宍甘しじかい村の北、たつくち山東方の、南方に開いた谷間にあり、宍甘村から分村したといわれる(備前記)。古代山陽道の道筋になったことがあり、矢津越といわれた所と伝える。「備前記」によると高九二石余、「備陽記」では田畠四町一反余、家数一〇・人数五四、池六〇。文化年間の「岡山藩領手鑑」によれば直高九九石余、蔵入。


矢津村
やづむら

[現在地名]安心院町矢津

ささへら村の南、佐田さだ川の流域にある。同川は佐田村から上流を矢津川ともいう。南は大見尾おおみお村、西はくちつぼ村。近世の領主の変遷は妻垣つまがけ村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高一三四石余、人数二九、百姓三(うち庄屋一)・名子二・牢人二、牛五。


矢津村
やづむら

[現在地名]松阪市矢津町

寺井てらい村の西にあり、村域の北側は堀坂ほつさか山に続く山間部となる。南は大河内おかわち村に接し、西は勢津せいづ村へ続く。「五鈴遺響」に「矢津ノ名義モ(中略)大河内軍ノ後ノ名ナルヘシ」とある。文禄検地帳(徳川林政史蔵)に「矢津村」と記されている。近世は和歌山藩松坂領。寛永一一年(一六三四)に新田畑検地が行われた(検地帳は同蔵)


矢津村
やづむら

[現在地名]村松町矢津

早出はいで川左岸の緩い扇状地上に立地。東の対岸不動堂ふどうどう(現五泉市)、南は川内かわち村。土井どいうち土井ノ下などの中世の城館にかかわると思われる地名が残るが、遺構は不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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