改訂新版 世界大百科事典 「藤田貞資」の意味・わかりやすい解説
藤田貞資 (ふじたさだすけ)
生没年:1734-1807(享保19-文化4)
江戸中期の数学者。通称彦太夫,後に権平という。字は子証。雄山と号した。貞資は定資,または定賢とも書く。現在の埼玉県大里郡で本田家に生まれ,大和国新庄の永井家の家臣藤田定之の養子となる。山路主住に師事し,暦作観測の手伝いとして幕府に仕える。眼病のため職を辞し,後に久留米の有馬頼徸の家臣となる。有馬の援助により,優れた教科書として名高い《精要算法》(1781)を刊行する。天元術の教科書,佐藤茂春の《算法天元指南》(1698)を復刻して《改正天元指南》(1795)を刊行する。貞資は子の嘉言(1772-1828)と協同で,算額に書かれた問題や解答を集めて,《神壁算法》(1789),《増刻神壁算法》(1796),《続神壁算法》(1807)を出版し,広く知られるようになった。些細なことで会田安明と論戦をすることとなり,前後20年近くも続いた関流と会田の最上流との論戦として有名である。
執筆者:下平 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報