人形浄瑠璃。時代物。12段。司馬芝叟(しばしばそう)作。初演は1801年(享和1)8月4日(正本刊記による)。興行場所は不明。正本版元から京都または大坂の上演か。翌9月京の亀谷座で歌舞伎に移された。人形浄瑠璃は,享和1年11月大坂道頓堀東芝居で再演(番付による)。この興行動向から,本作の好評ぶりがわかる。1590年(天正18)1月21日,飯沼初五郎が兄の敵加藤幸助を討った実説によるという。通称《躄仇討》《躄勝五郎》。伏見城の城普請小頭をつとめる飯沼三平と佐藤剛助とが争い,三平は剛助に闇討される。佐々成政は,北条氏政・氏直父子に謀られて,筒井順慶に預けられる。順慶は,三平の弟勝五郎に明智方の残党と見破られ,切腹する。勝五郎は兄の敵討に向かう。剛助は,滝口上野(こうずけ)と変名して氏政に身を寄せ,九十九(つくも)新左衛門の娘初花に付け文するが,初花は三千助と名のる勝五郎に添う。勝五郎は病のためいざりとなり,初花が引く躄車に乗って箱根へ旅立つ。氏政が,先祖時政の法事に,箱根阿弥陀寺で乞食に施行すると,勝五郎夫婦も乞食となってここへ現れる。待ち伏せした上野は初花の母を捕らえ,これを枷に勝五郎をなぶり,初花を連れ去る。初花は上野を討とうとして殺されるが,その亡霊は夫のもとへ戻り,塔の沢の滝で念ずると,勝五郎の病は治る。やがて一同は,上野を討つ。十一段目の〈阿弥陀寺〉から〈滝〉までが名高く,現在でも多く上演される。なお,江戸の歌舞伎の最初は,1808年(文化5)7月中村座の《増補躄仇討》。
執筆者:佐藤 彰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。12段。司馬芝叟(しそう)作。1801年(享和1)8月初演という。翌9月京都で歌舞伎(かぶき)に移され、11月大坂道頓堀(どうとんぼり)東の芝居で再演。1590年(天正18)飯沼勝五郎(いいぬまかつごろう)が兄の仇加藤幸助を討った事件を脚色した作で、11段「阿弥陀寺(あみだじ)」から「滝」までが名高い。通称「躄の仇討」「躄勝五郎」。飯沼勝五郎は兄三平を殺した佐藤剛助を追って妻初花(はつはな)と流浪中、病のため足が不自由になり、箱根阿弥陀寺までくると、滝口上野(たきぐちこうずけ)と改名した剛助が待ち伏せしていて勝五郎の母を捕らえ、これを枷(かせ)にして初花を連れ去る。初花は上野を討とうとして返り討ちにあうが、その亡霊は夫のもとへ帰り、塔ノ沢の滝に打たれての祈念によって勝五郎の足は治り、のち首尾よく敵(かたき)を討つ。歌舞伎でも上演され、秋の箱根路を躄車(いざりぐるま)に勝五郎を乗せて引く初花の「ここらあたりは山家(やまが)ゆえ、紅葉(もみじ)のあるに雪が降る」の台詞(せりふ)が有名。
[松井俊諭]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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