篠山神社(読み)ささやまじんじや

日本歴史地名大系 「篠山神社」の解説

篠山神社
ささやまじんじや

[現在地名]一本松町正木

篠山(一〇六五メートル)の頂上近い南に位置し、笹の密生する原生林に囲まれている。祭神は伊弉那美尊・速玉之命・事解之男命・木之花開耶姫命。「宇和旧記」「愛媛面影」によると古くは「篠山(笹山)権現」とよばれていたが、明治四年(一八七一)篠山神社と改称した。四国遍路の巡拝路となっている。旧郷社。

創立年代は社伝および「宇和旧記」によると用明天皇の時代と伝えているが明らかではない。由来は「宇和旧記」に「笹権現、往古正木村庄屋助之允先祖の家へ飛来らせ給ひ、庭に御立被成候由、夫より仏の峠と申所へ移し奉り、夫より一の王子と申所へ移し奉り、夫より今の弥山みせんへ奉移之由」と記している。「予陽郡郷俚諺集」には「熊野権現の垂(ママ)也」と記される。

「宇和旧記」によると、天和元年(一六八一)頃の様子について「彼山の腰を引廻したる道筋あり、此道より上を蓮華座と云ふ、頂上に矢筈池有、麓に払川はらひがはとて垢離取こりとり川あり、但三所より参詣の道あり、何れも払川あり、権現堂、天狗堂、鐘撞堂、辺路屋、観世音寺と云寺あり、正木村の方へ降り一の王子と云ふ堂あり」と記されている。

篠山神社
ささやまじんじや

[現在地名]久留米市篠山町

明治一〇年(一八七七)旧藩士および領民有志が有馬家に対する追慕・感謝のため御霊ごりよう(社号笹原神社)を久留米城本丸御殿跡に建立。祭神は初代有馬豊氏と一〇代有馬頼永であったが、同一二年篠山神社と改め県社となった。同三二年一一代有馬頼咸、同四五年七代同頼合祀。現在春秋二季の例祭と八月の鈴虫祭がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報