簗瀬村(読み)やなぜむら

日本歴史地名大系 「簗瀬村」の解説

簗瀬村
やなぜむら

[現在地名]五個荘町簗瀬

和田わだ村・河曲かまがり村の南にあり、東を愛知えち川が北流する。村名は愛知川の簗漁に由来するとされ、もと篠塚村とも称したという(神崎郡志稿)小幡おばた三郷のうちの下二郷の一のうに含まれ、六角氏の家臣簗瀬氏の本拠地でもあった。和田山を背に愛知川に沿い、観音寺かんのんじ(現蒲生郡安土町)に近い要衝の地。文明元年(一四六九)八月四日、足利義政多賀高忠に対して簗瀬ならびに観音寺城攻略の際の軍忠を賞しており、当地で合戦があったことがわかる(「足利義政御内書」片岡文書)。延徳四年(一四九二)の簗瀬河原の戦は、二度にわたる六角征伐を通じて最大規模の激戦である。甲賀山中に引籠っていた六角勢の動きはこの年の三月頃から活発化し、しきりに守護細川政元被官安富元家の陣を襲撃した。


簗瀬村
やなせむら

[現在地名]宇都宮市簗瀬町・下河原しもがわら一丁目・南大通みなみおおどおり一―三丁目・川向かわむこう

北と北東は宿郷しゆくごう村、西は川を越えて宇都宮城下に接し、南東平松ひらまつ村に接する平坦地で、水田の展開する穀倉地帯。北部に人家が散在し、南が耕地田川への架橋は鎌倉期といわれる。応安元年(一三六八)と推定される一〇月七日の宇都宮氏綱寄進状(一向寺文書)に「簗瀬郷内鷺谷給分跡」とみえ、一向いつこう寺に寄進されている。明応八年(一四九九)六月四日、宇都宮簗瀬の関東天台の談義所に居住していた永海は、倶知常住(叡山文庫)を撰している。


簗瀬村
やなせむら

[現在地名]花園村梁瀬やなせ

有田川上流谷間の傾斜地から河岸段丘にかけて立地。村内を高野山への登山道が通る。北はみね村、東は北寺きたでら村。中世は高野山領花園庄のうちで、弘和元年(一三八一)七月の定使善鏡下知状(中南区有文書)に「ハナソノゝ下ヤナセ」とみえる。近世も高野山領で、天正一九年(一五九一)一〇月二一日付の豊臣秀吉寺領朱印状(興山寺文書)に「やなせ」として九八石と記される。この「やなせ」は「続風土記」にみえる簗瀬・古向ふるむかい中腰なかごし・峯・有中ありなか臼谷うすだに滝谷たきだにの各村を含んだものと思われる。また、このうち簗瀬は上記七村の本郷といわれた。天保郷帳の簗瀬村は「続風土記」の古向・中腰を含んでおり、その村高は四九石余であった。


簗瀬村
やなせむら

[現在地名]芳井町簗瀬

梶江かじえ村の西にあり、南は井原村。寛永備中国絵図には山崎家治先知とあり、高九〇石余。元和三年(一六一七)より寛永一五年(一六三八)までは成羽藩領であったと思われる(寛政重修諸家譜)。その後幕府領となり、元禄一〇年(一六九七)から宝永三年(一七〇六)まで西江原藩領、同四年幕府領に復し、一時(文化一〇年より文政九年まで)播磨龍野藩預所などを経て、文政一〇年(一八二七)以降は三卿の一橋領となり、幕末に至ったと考えられる(同書など)


簗瀬村
やなぜむら

[現在地名]邑智町簗瀬

南西流する江川左岸に位置し、江川に火打谷ひうちだに川が合流する。南西は乙原おんばら村、対岸は吾郷あごう村。柳瀬とも記される。中世に佐波さわ郷を本拠とした佐波氏は最初この地に居住したといわれ、地内中央に土居どいの地名が残る(邑智町誌)。慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦後、佐波氏の老臣であった尾原氏は帰農して当村および近隣の明塚あかつか野井のいかめ三ヵ村の庄屋(五本木家)となった(同書)。元和五年(一六一九)の古田領郷帳に村名がみえ、高二四〇石余、年貢高は田方二七石余・畑方八七石余。のち火打谷川上流の高山たかやま村を分村。


簗瀬村
やなせむら

[現在地名]安中市簗瀬

中山道に沿う原市はらいち村の南側にあり、碓氷うすい川左岸上に位置する。縄文時代後期の加曾利BI式土器を伴出した炉跡があり、すぐ北に前方後円墳の二子塚ふたごづか古墳がある。簗瀬城・八幡平の砦や、墳丘を利用して戦国期とみられる多数の人骨を埋めた首塚がある。「寛文朱印留」に村名がみえ、安中藩領。寛文郷帳では田方六九石余・畑方七九石余。江戸後期の御改革組合村高帳では安中藩領、家数五二。元禄郷帳によると医王いおう寺領二四石余もあった。寛文五年(一六六五)の助馬村々書上(坪井文書)によると松井田まついだ宿・坂本さかもと宿(現碓氷郡松井田町)の助郷村として人足役家数七、馬数六が定められており、助郷は幕末まで続いた。


簗瀬村
やなせむら

[現在地名]武儀町中之保なかのほ 柳瀬やなぜ小宮こみや

湾曲する津保つぼ川沿いに位置し、西は大門おおもん村。民戸は同川の東西に分れ、西の組を小宮といい、西を祖父そぶ川が限る。柳瀬とも記す(「新撰美濃志」など)。慶長一〇年(一六〇五)の実蔵坊津保檀那目録案(経聞坊文書)に「やなせ にわ忠左衛門 同六内殿」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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