中世において地方製紙業の顕著な発展の結果,紙の商品生産および流通機構が発展してくるが,これに伴い製紙工や紙商人は営業の特権獲得のため朝廷,公家,社寺を本所として座を結成していった。その早い例では1407年(応永14)ごろの奈良南市の紙座がある。また応仁年間(1467-69)には,京都宝慈院を本所とする近江枝村商人が美濃大矢田の市場と京都の間の紙荷運搬を独占していた。諸国から京都へ搬入される紙荷には入公事が課せられたが,枝村商人はこの免除権を所持していた。近江には保内中野郷に紙商人の集団があり,伊勢地方で生産された紙を坂本,伊賀,枝村商人などに卸していた。京都では文明(1469-87)ごろ鷹屋修理亮範兼が先祖以来相伝したという洛中商売紙座があり,また同じころ図書寮紙屋院の後身である宿紙上下(かみしも)座が蔵人所を本所として活躍していた。このほかにも六波羅蜜寺の紙漉座,下京三条姉小路町の紙座などが知られている。また製紙原料である楮(こうぞ)を京都に運送して製紙業者に転売する楮座,漉返紙の原料である反古紙の売買を目的とした反古座(ほうぐざ)などもあった。しかしこれらの座は戦国期に入ると戦国大名によって断行された楽市・楽座政策によってそのほとんどが解体されていった。
執筆者:櫛笥 節男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
昔の紙商組合。中世に朝廷、貴族、社寺などの保護を受けて各種商品の製造や販売などの独占権を得る組織が多くつくられ、それらを座と称したが、紙座ができたのは室町時代の後期である。近江(おうみ)国(滋賀県)蒲生(がもう)郡枝村の『日吉(ひえ)神社文書』に、そのもっとも古い記録が残っている。それによると、14世紀ごろから枝村の商人は延暦(えんりゃく)寺や京都の宝慈(ほうじ)院の保護のもとに、美濃(みの)国(岐阜県)大矢田(おおやだ)村(美濃市)方面や北陸地方の産紙までも広くその集荷販売を独占し、その後の近江商人の発展の先駆けをなした。これによって京都へ運ばれた美濃紙は、室町時代に流行した草紙の料紙としてもてはやされ、産地の美濃では製紙が繁栄した。応仁(おうにん)の乱(1467~77)以後、社会秩序が崩れた際に、企業の少数支配の体制が新興業者によって破られ、紙座もほかの座の制度とともに失われた。
[町田誠之]
…中世,紙の原料であるコウゾの特権的な取引に当たった京都の商人。当時もっとも大きい京都の紙需要は,地方から送られた年貢・商品紙と,洛中の紙製造販売業者(紙座)の手になる紙によって充足されていたが,楮座は洛中紙座に供給する原料コウゾの特権的な取引に従事していた商人団と考えられる。《惟房公記》によると,16世紀中葉の永禄年間に田中家久なるものが本所に貢納すべき公事にかかわっているので,おそらく座の座頭・乙名の地位にあったものであろう。…
※「紙座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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