江戸中期の儒者。旧姓は辻(つじ)。30歳以後、本姓の細井に復する。名は知慎(ともちか)、字(あざな)は公謹(こうきん)。通称は弁庵、次郎太夫(じろうだゆう)。広沢は号。別名は菊叢(きくそう)、思貽斎(しいさい)、蕉林庵、玉川、奇勝堂。万治(まんじ)元年遠江(とおとうみ)国(静岡県)掛川(かけがわ)に生まれる。父玄佐は掛川藩、のち明石藩に仕える。1668年(寛文8)江戸に出て坂井漸軒(さかいぜんけん)に入門。初め朱子学を学び、のち陽明学に転ずる。また、北島雪山(きたじませつざん)に明(みん)人兪立徳(ゆりっとく)の書法を伝えられる。馬喰(ばくろう)町(東京都中央区)に居住し、家塾を開く。1693年(元禄6)柳沢吉保(やなぎさわよしやす)の儒臣となり、200石を与えられる。鉄砲組の組頭(くみがしら)をも勤める一方、所在不明の諸陵の探索・復旧に尽力。約10年後、致仕。享保(きょうほう)年間(1716~1736)幕府の百人組の同心に任用され、とくに本務を免ぜられて幕府法制の編集に従った。享保20年12月23日没、78歳。武蔵(むさし)国荏原(えばら)郡等々力(とどろき)村(東京都世田谷(せたがや)区)の真言(しんごん)宗致航山(ちこうざん)満願寺(まんがんじ)に葬られる。広沢は書家として著名であり、絵画、和歌、兵学、剣槍弓馬、拳法(けんぽう)、天文測量に通じ、とくに検地の法に熟達した。著書に『諸陵周垣成就記(しょりょうしゅうえんじょうじゅき)』『奇勝堂筆余』『筆法釈名』『秘伝地域図法大全書』(1717)などがある。
[三宅正彦 2016年7月19日]
(宮崎修多)
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江戸中期の儒者,書家。名は知慎(ともちか),字は公謹,次郎太夫と称し,広沢は号。遠江に生まれ,江戸に出て林信篤の門に入り,柳沢吉保に仕え,近習鉄砲頭として幕府にも出仕した。儒学のほか兵学や和歌,絵画に通じ,天文,測量,算数にも明るく,とくに書家として世上に知られる。書は20歳で北島雪山を知り,明の兪立徳(ゆりつとく)ゆずりの撥鐙(はつとう)法,文徴明以来の書法の正統を授かり,唐様書道の基礎を確立した。また篆(てん)学を究め,篆刻に長じてその革新を図った。《二老略伝》に詳しい伝記がある。《紫微字様》《撥鐙真詮》《観鵞百譚》など多くの著作を遺している。その門下からは平林淳信,関思恭,三井親和などが出,その書風は一世を支配したといえる。
執筆者:桂島 宣弘+角井 博
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…北島雪山は医を志して長崎におもむき,ここで明人兪立徳(ゆりつとく)から明代の文徴明の筆法を初めて授けられ,江戸時代の唐様の先駆として迫力ある大字作品を書いている。その門下細井広沢は江戸において唐様発展に力を尽くし,唐様の基本的な著述をも出した。江戸時代は幕府が儒学を奨励したため多くの儒学者が輩出し,唐様は儒者の間に行われ,和様は国学者に用いられた。…
…一方では庶民教育としての寺子屋が普及するとともに,簡便低廉な〈椎の実筆〉〈勝守〉など手習用の筆が大量に生産された。元禄期の唐様書家細井広沢(こうたく)は《思貽斎管城二譜(しいさいかんじようにふ)》を著し,所蔵の唐筆や自己の体験をもとに製筆法を説き,唐様の無心筆を考案した。 幕末の市河米庵(べいあん)も蔵筆200余枝の図録《米庵蔵筆譜》(1834)をはじめ,《米庵墨談》正・続,《小山林堂書画文房図録》などを刊行し,文房具に関する研究を深めた。…
※「細井広沢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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