日本の産業資本主義の確立過程から、第二次世界大戦後、職業安定法の制定(1947)により労働者供給事業が禁止されるまで、鉱山、建設業、鉄鋼業、造船業、運送業などでみられた労働者供給制度が組夫制であり、組夫とは労働者供給を請け負う業者(組頭(くみがしら))が調達してきた作業員をいう。鉱山における組夫制は納屋制度または飯場制度とよばれた。鉱山の組夫は採掘作業に従事したが、工場では間接部門の荷造りや運搬作業、雑役作業に従事した。組頭は、組夫を親企業に紹介するごとに口銭(こうせん)を受け取り、また組夫の賃金から中間搾取も行った。1952年(昭和27)に職業安定法施行規則が改正され、労働者供給事業の規制が緩和されて以降、組夫制は社外工制度に引き継がれた。なお、経済学者藤本武の研究によれば、組夫制は日本だけでなく、中国、インド、イギリスなどにも存在した。
[伍賀一道]
『北海道立労働科学研究所編『臨時工 後編』(1956・日本評論新社)』▽『藤本武著『組頭制度の研究』(1984・労働科学研究所)』▽『『隅谷三喜男著作集 第1巻 日本賃労働史』(2003・岩波書店)』
日本では明治期から,大工場における運搬,補修などの間接的部門の不熟練労働を労務供給業者に請け負わせてきた。これらの労務供給業者は組頭制度という労働組織を有し,そこで働く労働者は組夫と呼ばれていた。労務供給業者(組頭)は親分として住居等の組夫の生活上のめんどうをみる一方,さまざまな名目で組夫の賃金の中間搾取を行った。また企業にとっては,組夫は低賃金で,しかも景気変動の調節弁としても利用しうる労働力であった。第2次大戦前では八幡製鉄所の職夫などがその代表例であろう。またこうした不熟練組夫のほかに,造船業などでは明治末から大正期にかけて,塗装などのような技術進歩の跛行(はこう)的な付帯作業を社外親方に請け負わせる制度も成立していた。第2次大戦以降,1947年の職業安定法の制定により労務供給業(労働者供給事業)は原則として禁止された。そして組夫の多くは組が社外企業となることにより社外工という形で再編されることとなった。
執筆者:佐口 和郎
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