本工労働者(常用雇用の正規労働者)と異なり、短期の労働契約で雇用されている主として製造工程に従事している労働者をいう。現実には臨時の作業に短期間雇用されるとは限らず、契約の更新を重ねることにより長期間にわたり就労する例がしばしばみられた。いわゆる臨時雇名義の常用労働者である。臨時工の賃金や福利厚生などの労働条件は本工と比べ一段と低く、労働者全体の労働条件を引き下げる役割を果たすとともに、企業の労働力需要の変動に応じて解雇されやすい不安定就業労働者の主要な形態であった。日本の労働組合は正規労働者中心の企業別組合であるため、臨時工は通例、未組織のままに置かれていることが多い。こうした特徴は社外工や現代の派遣労働者にも共通しているが、臨時工が就労先企業との間に直接的雇用関係を有している点で社外工と区別される。
[伍賀一道]
日本の臨時工の起源は明治維新後の産業資本主義確立期にまでさかのぼる。当時、繊維工業を中心とする軽工業においては零細農家出身の若年女工を採用したが、軍需部門や鉄鋼、造船などの重工業部門では不熟練労働分野に労働者供給業者の支配下にある人夫、寄場(よせば)人足を臨時職工として採用し、景気の変動に応じて増大あるいは解雇した。第一次世界大戦後から昭和恐慌に至る時期になると、企業は臨時工に本工労働者と同様の職務に従事させ、短期の雇用契約を更新することにより相当長期にわたって雇用するようになった。しかし賃金・労働条件は依然劣悪なままに放置されていた。
さらに未組織労働者である臨時工は、当時の労働運動の高揚に対してそれを弾圧ないし切り崩す手段として利用された。1934年(昭和9)12月の内務省社会局の「臨時職工及(および)人夫に関する調査」によれば、使用職工数100人以上の民間工場のうち30%が臨時職工および人夫を使用し、その合計は8万人に上るとされているが、実際には全工場を通じて30万人と推定されている。内務省の同調査によれば、八幡(やはた)製鉄所では本工1万6661人に対し臨時工および人夫は1万1276人に達している。当時、臨時工の解雇に際し会社が予告手当の支払いを拒否するなどの事件が発生(たとえば1933年9月の三菱(みつびし)航空機株式会社名古屋製作所争議)、臨時工問題は社会問題化した。日中戦争、太平洋戦争中は軍需経済のもとで重工業を中心に労働力不足現象が生じ、臨時工は戦時強制労働体制(徴用制)のなかに吸収された。
[伍賀一道]
第二次世界大戦後、朝鮮戦争の時期に社外工にかわって臨時工が大量に利用され、1950年代末まで企業の雇用調整の主要な手段となった。この背景には、戦後「民主化」の過程で定められた職業安定法(1947)により労働者供給事業(社外工制度)が禁止された点がある。1950年代後半以降高度成長期を迎え、大企業では技術革新を進め、近代的工場や設備が新設されたが、本工の新規採用は極力抑制されたのに対し、臨時工や日雇が新規採用のなかでかなりの比重を占めた。たとえば労働省(現厚生労働省)の「労働異動調査」によると、1959年の新規入職者のうち臨時工の占める割合は、製造業500人以上規模の企業の場合で49.9%に、なかでも金属機械部門では61.5%に達した。しかし、臨時工による本工化闘争が活発化するとともに、職業安定法施行規則の改正(1952)により、労働者供給事業の認定基準が緩和されたため社外工制度が積極的に利用されるようになり、しだいに臨時工は社外工にとってかわられるようになった。1961年当時の製造業常用労働者のうち「常用名義の常用労働者」が92.1%であるのに対し、「臨時日雇名義の常用労働者」は7.9%である(労働省『昭和36年労働白書』)。
製造工程に従事する臨時工に限定しないで、広く臨時雇についてみれば、高度成長期を通してその数は増大し続けた。旧総理府統計局(現在は総務省統計局が調査を所管)「就業構造基本調査」によれば、臨時雇(1か月以上1年以内の雇用契約で雇われている者)は1956年96万人、1962年96.5万人と、1960年代なかばまでは90万人台で推移していたが、1960年代後半より急増し、1968年148.4万人、1971年156.8万人となった。1974~1975年の不況以後、大企業は雇用調整によって、企業の生産・営業活動にとって必要不可欠な常用労働者を削減または抑制し、そのかわりに臨時雇、日雇、パートタイマー、社外工などの非正規労働者を導入するようになった。その結果、臨時雇は1974年以降、急速に増大し、前記調査によれば、1974年191.0万人、1977年220.5万人、1982年333.5万人と推移した。
さらに、1990年代に入ると長期不況のもとでこの傾向はよりいっそう顕著になっており、1997年(平成9)には臨時雇は503.4万人に、2007年には603.1万人にまで増加した。なお、同時点で日雇(日々または1か月未満の雇用契約で雇われている者)はそれぞれ145.2万人、135.6万人であった。国勢調査によれば、本来の臨時工を意味する製造工程の臨時雇労働者(職業中分類「製造・制作作業者」の臨時雇)は2000年に102.4万人、2005年に108.4万人である。なお、国勢調査の「臨時雇」の定義は「就業構造基本調査」とは異なり「日々または1年以内の期間を定めて雇用されている人」である。
21世紀に入る前後より、自動車や電機部門などの製造ラインには間接雇用の派遣労働者や請負労働者が導入されているが、その多くは雇用契約期間が数か月に限られている臨時雇である。自動車産業などの期間工も臨時工の一種である。
[伍賀一道]
『峯村光郎著『臨時工』(1952・要書房)』▽『北海道立労働科学研究所編『臨時工』上下(1955、1956・日本評論新社)』▽『鎌田慧著『自動車絶望工場』(1983・講談社)』
雇用期間の定めのある労働契約で雇用される労働者をいう。臨時工には,工場設備の建設修理などの建設作業,荷造り運搬作業や雑役作業などの付帯的・補助的作業に従事するものと,本工と同種の作業に従事するものとがある。1952年の朝鮮戦争以後,臨時工,とくに後者の臨時工が急速に増加し,大きな社会問題となった。その焦点は,契約更新により事実上長期間雇用が継続されていたとしても,雇用期間に定めがあるため雇用が不安定であること,賃金が本工に比べ低く,家族手当制度や退職金制度などが適用されないか,または別の制度が適用されることなど,本工との間に雇用形態による労働条件の格差がみられたことにあった。しかし高度経済成長の過程で若年労働力不足が生じ,他方で労働組合が臨時工の本工化闘争に力を注いだため,本工に登用される臨時工も増え,また労働者供給事業の規制が緩和されたこともあって付帯的・補助的作業に従事する臨時工は社外工に再編されていった。
執筆者:中村 圭介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…一般的には,日本の大企業で期間の定めのない労働契約によって雇用され,特別の事由のないかぎり定年年齢に達するまで勤続することを労使双方が予定している労働者をいう。これに対し,期間の定めのある労働契約により雇用される労働者は臨時工と呼ばれる。本工は当該企業の基幹的業務に従事し,易しい職務から難しい職務へと順次昇進していく。…
※「臨時工」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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