織田神社(読み)おたじんじや

日本歴史地名大系 「織田神社」の解説

織田神社
おたじんじや

[現在地名]美浜町佐田

芳春寺ほうしゆんじ山の東側に鎮座する。「延喜式」神名帳に記される三方みかた郡「オリ田神社」にあてる説もある。「若狭国志」は「在佐田村、社家説曰、景行天皇六年創建、祭国常立尊、延暦十八年配祀宮代二十八所神、一説、北田村称織田明神者、此其神社也、未詳孰是」と記す。旧郷社。祭神国常立くにのとこたち尊であるが、応神天皇・保食うけもち神・水波売みつはのめ神・大山祇おおやまつみ命・大山咋おおやまくい命を合祀する。

近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔神事〕

祭礼は六月一日(古くは四月二日)に行われ、大御幣・王の舞・獅子舞・ソッソニソの行事を伝えている。


織田神社
おたじんじや

[現在地名]美浜町北田

北田きただ南西、織田湾沿いの丘陵地に鎮座する。祭神は国常立くにのとこたち命。大物主おおものぬし命・倉稲魂うかのみたま命・大山祇おおやまつみ命を合祀する。旧村社。「延喜式」神名帳に記載の三方みかた郡「オリ田神社」に比定する説がある。同名の神社は隣の佐田さたにもある。「若狭郡県志」には「織田おりた明神、在北田村、為産神、延喜式所謂若狭国三方郡織田神社是也、又若狭国神階記、三方正五位織田明神云云、未知所祭之神也、四月朔日有祭」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「織田神社」の意味・わかりやすい解説

織田神社 (おたじんじゃ)

福井県丹生郡越前町にある神社で,正しくは劔(つるぎ)神社という。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと),気比大神,忍熊王(おしくまのみこ)で,応神天皇の兄の忍熊王が当社主神の素盞嗚尊より霊剣を賜って賊を討った由緒により劔神社と称すると伝える。越前国二宮といい,のち国幣小社となる。771年(宝亀2)に,詔により劔神社に食封,田を宛つとみえ,また社蔵の神護景雲4年(770)9月11日の銘のある梵鐘国宝)によれば〈劔御子寺〉という神宮寺があった。中世では織田寺と総称される多くの坊舎が延暦寺末となっていた。戦国時代には朝倉氏より社領の保護をうけたが,朝倉氏を滅ぼした織田信長の先祖はこの織田の出身といわれ,信長も織田神社を氏神と仰いで,多くの社領を与えている。古来魔よけ厄よけ,交通安全などの神として知られ,10月9,10日に例大祭がおこなわれる。社蔵文書は戦国期末・織田信長時代の状況を知るうえで貴重である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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