朝日日本歴史人物事典 「義観」の解説
義観
生年:文政6.10.3(1823.11.5)
幕末の天台宗の僧。本名は金子劇三。武蔵国新座(埼玉県新座市)の農家に生まれる。天保3(1832)年江戸上野東叡山の大慈院尭覚に師事し,尭運と称す。のち真如院義厳につき義観と改名,真如院住職を継ぐ。慶応3(1867)年,輪王寺宮執当として上野寛永寺の寺務を統括,公現法親王より覚王院の号を与えられた。明治1(1868)年徳川家救済のため法親王を奉じて駿河に赴き,東征大総督有栖川宮熾仁親王に嘆願したが不首尾に終わる。以降,一転して新政府に対する徹底抗戦を唱え,上野山内に屯集した旧幕臣有志を保護。その中心組織であった彰義隊が壊滅したのちは,会津,仙台に逃れたが東京に送致,獄中に病没した。<著作>『覚王院義観戊辰日記』
(三井美恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報