新撰 芸能人物事典 明治~平成 「翁家さん馬」の解説
翁家 さん馬(5代目)
オキナヤ サンバ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 桂 正一
- 別名
- 幼名=正之助,前名=桂 文吉
- 生年月日
- 弘化4年 4月
- 出生地
- 江戸・両国薬研堀(東京都)
- 経歴
- 4代目桂文治の甥。6代目文治の従兄弟。11歳の時、数寄屋町の大工大阪屋吉兵衛へ奉公。約10年つとめたのち叔父の弟子となり桂文吉を名乗る。明治6年5月27歳で5代目翁家さん馬を襲名。翌7年京阪見物がてら東京を後にし、浜松・岡崎などを経て名古屋で3年間興行。10年京都で13年からは大阪で出演、大阪にいつくことになった。終始桂派の一員として高座をつとめ、大阪へ東京の人情噺を紹介した功労者でもある。続き噺を得意とし、「祐天小僧吉之助」「二人伊之助」「左甚五郎」などで好評を博した。一方、鶏鳴新聞に大阪で初の人情噺の速記を載せるなど、大阪の落語速記本に大きく寄与した。
- 没年月日
- 大正3年 10月29日 (1914年)
翁家 さん馬(10代目)
オキナヤ サンバ
翁家 さん馬(8代目)
オキナヤ サンバ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 菅谷 徳之助
- 別名
- 前名=都家 歌之助,柳亭 一楽,都家 歌六(5代目),柳亭 栄楽,雷門 雷蔵
- 生年月日
- 明治22年
- 経歴
- 初め都家歌六の門人で歌之助を名乗る。明治44年頃一時柳亭一楽を名乗り、大正初年に上方で5代目都家歌六を継ぐが、東京で井本亀之助の楓枝が歌六と改名したため、大正9年柳亭栄楽と改名。その後11年に雷門雷蔵となり、さらに13年翁家さん馬を襲名した。しかし東京に落ち着かず、満洲・朝鮮・台湾まで渡った末、昭和3、4年頃から北海道小樽で活動。戦後東京へ戻り、一時浅草の末広亭で支配人をつとめる。噺家としては音曲が主だったが、持ちネタの数は多かった。
- 没年月日
- 昭和48年 5月15日 (1973年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報