公議所(読み)コウギショ

デジタル大辞泉 「公議所」の意味・読み・例文・類語

こうぎ‐しょ【公議所】

明治新政府の立法機関。明治2年(1869)3月開設。各藩から選出された公議人により構成された。官制改革により7月から集議院改称。明治6年(1873)廃止

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精選版 日本国語大辞典 「公議所」の意味・読み・例文・類語

こうぎ‐しょ【公議所】

  1. 〘 名詞 〙 明治政府の立法機関。明治元年一八六八)一二月に立案、翌二年三月に開設。各藩推薦の公議人約二七〇名によって構成され、各藩の意向を統合したり、新政府へ種々の建議などを行なった。同年七月の官制改革で諮問機関である集議院に改称。
    1. [初出の実例]「東京旧姫路邸を以、当分公議所と御定に相成」(出典:太政官日誌‐明治元年(1868)一二月一四日)

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改訂新版 世界大百科事典 「公議所」の意味・わかりやすい解説

公議所 (こうぎしょ)

明治初期の立法諮問機関。1868年(明治1)12月6日公議所設置が布達され,翌69年3月7日開所,各藩から1名ずつの公議人が選出され,任期4年,2年ごとの半数改選などの規定を設けて運営した。政府からも各官より1名ずつ出席し,諸学校からも公議人が1名ずつ選出されたが,府県からは選出されなかった。議長議政官下局議長であった秋月種樹。公議所は議政官下局およびその内部機関である貢士対策所の後身で1868年8月1日の貢士対策所の廃止,9月19日議政官の廃止と議事体裁取調所の設置が行われ,後者における審議をへて公議所の設置が決定された。公議所の名称は,当時流行の〈公議政体〉〈公議輿論(よろん)〉の語に由来するが,この年1月の鳥羽・伏見の戦ののち江戸幕府が設けて立憲政体の取調べを命じたことがあり,奥羽越列藩同盟でも中心機関を公議所と称したことがあった。

 公議所の議員となった諸藩の公議人は貢士の後身で,同年5月27日に諸藩に公務人が置かれるや貢士をもってこれにあて,ついで8月20日公務人を公議人と改称した。貢士は大藩3名,中藩2名,小藩1名とされたが,公議人は各藩1名である。公議所では勧農,租税,駅逓,貨幣,外交,貿易,鉱山,度量衡,商業,開墾,学校,出版,刑法,軍律,海軍,宗教,陸軍,営繕,水利などを議事の分課とし,積極的な審議を行った。とくに議長代行森有礼,副議長神田孝平ら開明派が審議をリードし,里数改正,通称の廃止,切腹の禁止,火葬廃止,帯刀廃止,入れ墨廃止,人身売買禁止,穢多非人廃止,地租改正など多くの改革案をとりあげて審議した。もちろん保守派の強い反対もあり,すべて答申されたわけではないが,活発な審議を通じて啓蒙的な役割を果たしたことは注目される。公議所の議事録は《公議所日誌》として逐次出版され,19号27冊に達した。この日誌には貢士対策所の制度法令と策問を編纂した2冊もあり,《明治文化全集・憲政編》に全29冊が収められている。

 公議所の審議の活発化に対し政府首脳部はこれを快く思わず,同年7月8日集議院と改称し,太政官下付の議案のみ審議し,上申したものも改めて公議に付されることとなり,立法機関としての性格はいちじるしく後退した。集議院長官は参議・卿と同格とされ,公議所公議人がそのまま議員となった。同年8月15日待詔院下局を合併するが,これは同年3月12日に上書建白を受理するため設けられた待詔局が,7月8日の官制改革で待詔院となり議定・参与からなる上局と各藩貢士からなる下局を置いたが,上局は有名無実であり,その下局を合併したものである。したがって以後は集議院で建白を受理することとなり,議員中より12名の幹事を選び交代で取り扱わせた。議事は《集議院日誌》として逐次刊行され,1869年分が7冊,70年分が5冊に達した。70年9月以後開院されず有名無実化し,71年8月20日左院の管轄となり,73年6月24日廃止され,その事務は左院が取り扱うこととなった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「公議所」の意味・わかりやすい解説

公議所
こうぎしょ

明治初年の立法機関。1868年(慶応4)閏(うるう)4月21日、維新政府は政体書に基づいて三権分立の方針を示し、立法機関として議政官上下局を設置した。しかし行政官権限が強くて、議政官は有効に機能しなかった。そのため、政府は議事体裁取調所を設けて調査にあたらせ、同年末、議政官下局―貢士(こうし)対策所にかわって公議所の新設を決定した。公議所は相当の立法権をもち、議員は各藩の代表者たる公議人、在任期間は4年、2年ごとの半数改選、会議日は毎月2の日、7の日であった。69年3月に開院。多くの法案を作成したが、政府内部に公議所を無用とする意見があり、同年7月8日の太政官(だじょうかん)制改革に伴い廃止され、集議院に変わった。

[井上 勲]

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百科事典マイペディア 「公議所」の意味・わかりやすい解説

公議所【こうぎしょ】

幕末以来の公議思想の実行を意図して設けられた明治政府の立法諮問(しもん)機関。議政官(ぎせいかん)下局とその内部機関貢士(こうし)対策所の後身として1869年3月開所。各藩1名ずつ(計227名)の公議人で組織され,政府提出の議案を審議した。同年7月官制改革で集議院と改称。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「公議所」の解説

公議所
こうぎしょ

明治初年の立法諮問機関。五カ条の誓文の趣旨の具現化のため,1869年(明治2)3月各藩代表たる公議人を集め,東京の姫路藩邸内に設立された。設立・運営の担当者は山内容堂(豊信)・福岡孝弟(たかちか)ら公議政体派であり,神田孝平(たかひら)・森有礼(ありのり)ら最新の知識をもつ洋学者を起用して西欧流の議会制度導入をめざした。22回の会議で14の議案が議決されたが,廃刀案などの審議を通じて,反欧化色の濃い公議人と森ら運営委員が対立して空転,同年7月集議院に改組された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「公議所」の解説

公議所
こうぎしょ

明治維新当初の立法機関
各藩の意向を統合するため,貢士 (こうし) 対策所に代わる議事機関として,1869年3月に開設。各藩よりの公議人(任期4年)を議員としたが,保守的傾向が強く,また内部対立もあり,形式的活動しかできず,同年7月には集議院に改組された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「公議所」の意味・わかりやすい解説

公議所
こうぎしょ

明治2 (1869) 年に開設された明治政府の議事機関。各藩から1名ずつ任命された公議人から成る。幕末以来の公議思想の実行を意図したもので,審議は各方面にわたった。同年7月の官制改革により集議院と改称された。

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