翻訳|elbow
上腕と前腕との移行部で,内部は肘(ちゆう)関節となって,上腕骨が前腕の橈骨(とうこつ)および尺骨と連結するところである。後面は尺骨の肘頭に相当して突出しているが,前面はへこんで〈肘窩(ちゆうか)〉となっている。肘窩では,上腕二頭筋(力こぶの筋)の腱をよく触れることができるし,またこの腱の内側では上腕動脈の拍動を触れる。ひじの前面には〈尺側皮静脈〉〈肘正中皮静脈〉などがあり,静脈内注射や採血にはこれらの静脈が選ばれる。
上腕骨と前腕の骨との間の関節で,腕尺関節,腕橈関節,近位橈尺関節(または上橈尺関節)の3部に分けられる。腕尺関節は,上腕骨の滑車と尺骨の半月切痕(滑車切痕ともいう)との間にあり,肘関節の主体をなしている。肘関節における上腕と前腕との間の屈伸運動は,この腕尺関節のちょうつがい関節としての働きによる。腕橈関節は上腕骨小頭と橈骨頭との間の関節で,ひじの運動において従属的な役目を演ずるにすぎない。近位橈尺関節は橈骨頭と尺骨上端の橈骨切痕との間にある車軸関節で,この関節と遠位橈尺関節(下橈尺関節ともいう)とによって橈骨の回内および回外の運動(前腕をねじる運動)が行われる。以上の3関節は共通の関節囊で包まれているから,その全部をあわせて肘関節と総称する。
執筆者:藤田 恒太郎+藤田 恒夫
膝とひざとが等しくないように肘とひじも同一ではない。肱も臂もひじである。元来,〈股肱〉と併記するように肩から肘までの〈二の腕〉とも言う部分が肱で,臂は肘から手首までの〈一の腕〉とも称する部分のことである。けれども日本ではこれらが混同されて,《和漢三才図会》では肱は臂と同じとし,肘は臂の終りにあるから〈ひじしり〉で,〈自肘至腕曰臂又云曲池以下曰臂〉とある。この腕は手首で,曲池(きよくち)とは上腕骨外上顆の近くにある経穴(つぼ)のことである。《倭玉篇(わごくへん)》では肘と肱は〈カヒナ,ヒチ〉,臂は〈タタムキ(=腕),カヒナ,ヒチ〉とあって〈ひじ〉は〈かいな〉と同義であり,《和名類聚抄》でも臂と肱の区別がなく肘を〈臂節也〉としている。
臂と肱との混同には中国にも責任があり,たとえば《春秋左氏伝》定公で〈三折肱,知為良医〉と言うのに屈原は〈九折臂而成医兮〉(《惜誦》)とうたう。くり返し自分の腕を折るほどの苦労をしなければ良医になれないとの古諺によるが,これが日本では〈肘を折る〉となる。肘枕も元は〈枕臂火炉前〉(白居易《偶眠》)だったり,〈曲肱而枕之〉(《論語》述而)だったりする。《三国志》蜀書に関羽が酒を飲んで談笑しつつ骨髄炎の手術を受けたのは左臂であり,新豊に住む老翁が兵役を逃れるために大石で折ったのは右臂であり(白居易《新豊折臂翁》),衛の呉起が母親に別れを告げて将来は宰相になると誓ってかんだのも臂であるが,いずれも前腕のことと思われる。けれども多臂と言われるヒンドゥーの神々は肩から多くの腕を出し,《山海経(せんがいきよう)》海外西経が伝える一臂国(いつぴこく)や奇肱国(きこうこく)の人はみな1本の腕しかない。結局,肱と臂のいずれも腕全体を指すことがまれでなく,上述のような《和名類聚抄》以来の混同を生むことになる。椅子の肘(肱)掛,建築で用いられている肘(肱,臂)木,にわか雨をよける肘笠などの肘は,みな腕のことである。
臂(ひじ)と肘(ひじしり)の関係は西欧語にもみられる。英語elbow,ドイツ語Ell(en)bogenは〈前腕(臂)ell〉の〈曲がるところ〉(英語bending,bow。ドイツ語biegen,Bogen)の意である。前腕を指すギリシア語ōlenēとラテン語のulnaはチュートン語alina(肘から中指の先端までの称)と同系で,alinaから古英語elnを経てellとなる。footと同様ellも長さの尺度となるが,なぜか臂より長い上に地方によりまちまちで,イングランドでは45インチ,スコットランドでは37インチ,フランドルでは4分の3ヤード,フランスでは1ヤード半,ドイツでは25インチほどである。曲がった肘の突端をなす尺骨先端を肘頭と解剖学で言うのはギリシア語ōlenēとkranion(頭)とから成るラテン語olecranonの直訳で,肘(ひじしり)と似た名称である。肘をあらわすもう一つのラテン語cubitumは英語cubit,フランス語cubitus,イタリア語cubitoに連なるが,これも元来,古代エジプト語やヘブライ語で肘から中指の先端までを指すものであり,併せてその長さを表す尺度だった。聖書にはキュビトとしてみえ,〈普通のキュビト〉(45cm)と〈神聖キュビト〉(52cm)などが知られている。
魯の哀公に仕えた宓子賤(ふくしせん)が哀公の側近を〈掣肘(せいちゆう)〉して拙い字を書かせ,宓の政治に容喙(ようかい)することの愚を公に悟らせた(《呂氏春秋》)ように,肘を抑えれば強力な肩の筋群の動きを乱せることは梃子(てこ)の原理をひくまでもない。人相学では黒子(ほくろ)が肘頭部にあれば災厄を招きやすく,肘の上にあっても病が多いが,肘の下にあれば富相となり,肘窩にあれば技量に長(た)けるなどと言う。江戸時代の相術家水野南北は,肩から肱(=肘)までを虎,肱から手先までを竜とし,虎は短くて力強いのが吉相,竜は長くて豊かなのを吉相としている(《南北相法》)。
肘鉄砲は空手の肘当てに前肘当て(前猿臂(えんぴ)),横肘当て(横猿臂),後肘当て(後猿臂),落し肘当て(落し猿臂)と4種あるうちの後肘当てのことである。空手で肘部を猿臂というのは,猿のように長い臂(=腕)は弓術など武術に有利とみたことに由来するが,ここでも臂と肘とを混同している。テナガザルなど腕の長い猿がおり,中国明末の本草家李時珍は小さくて尾の短いのを猴(こう),猴に似て臂の長いのを猨(えん)とし(《本草綱目》),《和漢三才図会》で猨と猿とは同字だと言うように,日本では《古事記》にすでに猨田毘古(さるたびこ)と猿田毘古,猨女君(さるめのきみ)と猿女君とが並記されているから,〈猿臂は長い〉ということになる。枝を交互につかんで腕渡り(ブラキエーションbrachiation。語源であるラテン語bracchiumは腕,前腕の意つまり臂)するとき,猿の1臂が縮んで他側の伸びる臂に通うとみられ,〈猿は臂を通わす〉と言われたことがあった。左右の臂に長短がある猿の画を見るのはこのゆえである。
→腕 →手
執筆者:池澤 康郎
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上腕部と前腕部との中間の部分をさすが、その範囲は明確に境されているわけではない。解剖学的には前肘(ぜんちゅう)部、後肘部および肘窩(ちゅうか)に区分する。屈曲側が前肘部で、中央の軽くへこんでいる部分が肘窩である。伸側が後肘部で、肘を屈曲したときにいちばん突出している部分を肘頭という。この肘頭は尺骨(しゃくこつ)の頭端の部分に相当する。肘窩の形状は逆三角形で、底辺の位置は、肘部の両側にもっとも突出した部位を結んだ線(上顆(じょうか)線という。上腕骨の遠位骨端部の外側上顆と内側上顆を結んだ線)である。また両側は、腕橈骨(とうこつ)筋内側縁と円回内筋外側縁とに囲まれた部分となる。肘窩に指を触れると、上腕二頭筋の硬い腱(けん)に触れることができる。この腱の内側では上腕動脈の拍動を感じることができる。肘窩の表層には肘正中皮静脈という皮下静脈が走り、静脈内注射や採血などに用いられる。肘の運動に関与する肘(ちゅう)関節は2個の蝶番(ちょうつがい)関節と1個の車軸関節で構成されている。すなわち、蝶番関節である腕尺関節・腕橈関節と、車軸関節である上橈尺関節とが関節包に包まれているわけである。なお、一般用語で肱や臂も「ひじ」と読むが、臂は肩から手首まで、肱は臂の下半部、肘は臂が突出する部分をさすという。
[嶋井和世]
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…関節包は2枚の膜から成る。外側の膜を繊維膜といい,これは骨の表面を覆う骨膜のつづきで,関節包のところではこの骨膜がひじょうに厚くなって関節包をつくっている。骨膜はおもに膠原(こうげん)繊維でできているから,関節包の繊維膜もその本体は膠原繊維である。…
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